大堰近況

堰を守る

(石崎直治著・発行「東十二丁目誌」(H2.2.28)より)

用水堰の補修
土と木材によって出来た用水堰は、洪水による箱倉の破壊や、水路に沈積する土砂、或いは土手の破損などで、速急な修復が必要となり、年々の手入の外屡々(しばしば)補修の工事がなされている。それらの記録をまとめたものはないので、全容を知ることは出来ないが、手元にある古文書によって要約して表示すると次の通りである。

宝永6年(1709)、正徳5年(1715) 水門補修…
享保7年(1722) 用水堰上口水門、箱倉長手共昨秋洪水で大破のため修復工事実施す…
享保16年(1731) 水門立替…
寛保3年(1743) 願上書次の通り
恐れ乍ら書付を以て願上奉り候事
一、栗木長さ9尺未口2尺5寸廻 水門柱26本 (外略) 木数〆228品
右の通り高木村、東十二丁目村、更木村3ヶ村高3千石余り用水堰上口水門箱倉長手一本倉当春洪水に大破仕り、用水差支え迷惑仕り候 右木数書上申候間御見分なし下され、手寄御山袰輪山、成嶋山両所にて下し置かれ候様に、恐れ乍ら願上候。…
宝暦4年(1754)-同5 4年7月24日洪水にて水門、本倉大破のため修復工事 …
明和3年(1766) 工事完成から65年経過水流弱くなり堀直し
・平野家に設計書・絵図あり、工事区域50番に分ち堀上げの深さと人数が配分してある。
・書上惣間数の覚
一、4,911間 揚口から鍛治屋まで
一、 200間 鍛治屋より久田まで   〆5,101間[?ママ]
中居堰(嶋松ヶ沢より久田落合まで)    1,832間 …
明和9年(1772) 用水堰御普請、高木、安俵、寺林三通御人足による。 …
嘉永5年(1852) 水門留切普請 …
安政2年(1855) 用水路内払 …
明治14年(1881) 不動下用水堰の新堰92間岩石を掘る。

運営組織の変遷
用水堰通水の当初から明治年代までは、村肝入及び堰守によったものであろうと思われ、組合の発足は大正4年(1915)で、私設大堰水利組合が結成され、組合長に更木村の藤村精一氏が選任されている。
昭和3年(1928)には、矢沢村長多田啓吉氏と更木村長福盛田乙五郎氏(注1)が創立委員となり、高島更木普通水利組合と変更、管理者は矢沢村長多田啓吉氏、常設委員高橋信氏となり、同年7月発足した。
昭和4年度決算に見る3ヶ村水利反別は、199町7畝7歩であり、昭和5年度では122町7反となっているが、これは(猿ヶ石発電所の開設に伴い)発電用水の中から用水分離を行ない更木村の水利として転用された結果と思われるが、この時点での組織等の変更はあったのだろうが詳かでない。(注2)
昭和27年6月高島土地改良区に、また昭和40年2月高木島土地改良区と名称変更があり現在に至っている。(注3)

[補足]
(注1) 福盛田乙五郎:私の祖父の兄。
(注2) 「更木島東部土地改良区の歩み」(2008.7)によれば、猿ヶ石発電所は昭和3年11月に起工し同5年2月に完成したことから、昭和4年に着工した新田地区に続いて(旧田地区も)昭和7年10月にやっと耕地整理に着手することができた。用水は発電所水槽から…分水され、それまでの仁兵衛堰からの用水と振替えられた。昭和10年10月には更木耕地整理地区から更木耕地整理組合に変更となり、昭和16年に事業を完了。し…
(注3) 高木島土地改良区:平成15年9月に豊沢川土地改良区に合併。平成19年4月の同土地改良区に占める割合は受益面積(2,363千㎡)で5%弱、組合員数(444人)で10%強。

(2015.3.21掲)

“堰を守る” への1件のフィードバック

コメントは受け付けていません。