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「東十二丁目誌」註解覚書(6) -遺跡・補遺-

(「平成2年度花巻市内遺跡詳細分布調査報告書 -花巻地区-」(1991)より)

北上川東岸地区
猿ヶ石川は、早池峰連峰薬師岳に発し、北上山系の山地・丘陵地を開析しながら西流し、花巻市内で北上川に合流する河川である。この猿ヶ石川左岸と北上川に限られた地域が、北上川東岸地区である。
地区内の地形は東西2つに大別できよう。西半分には北上川谷底平野が広がる。北上川の流路のターニングポイント周囲には自然堤防が発達している。また後述する長根・小袋地区及び穂貫田・大木地区には、大きく蛇行した旧河道が残っている。「島」という地名は、これより付けられたものという。
地区内東半分は更に3つに分けられる。南から丘陵地、台地、谷底平野であり、いずれも猿ヶ石川にほぼ接している。丘陵地は南東から北西へ舌状に張り出しており、標高も130~210mから115~135mへと減じる。台地は小規模な低位・中位段丘であり、谷底平野との間に崖をもつ。
これらは北上山地西縁にあたる。

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(東十二丁目)
55. 小袋遺跡
湾曲した北上川旧河道の左岸に当たる。比高約5mの谷底平野にのる(?)。現状は宅地・畑等である。
本年度の分布調査で土師器が表採でき、古代の遺物包含地であると再確認された。『花巻市埋蔵文化財包蔵地分布図』では後述する中道遺跡も含めていたが、今回の踏査で時期の差異が指摘できたので細分することにした。

56. 長根Ⅰ遺跡
湾曲した北上川旧河道の内側、発達した自然堤防上にのる。現在は畑・宅地であり、周囲の水田と対照的である。
古代の遺物包含地であることが確認されている。

57. 長根Ⅱ遺跡
長根Ⅰ遺跡の北隣に位置する。現状は畑・宅地である。
Ⅰ遺跡と同時に確認された古代の遺物包含地である。

58.長根Ⅲ遺跡
自然堤防の北縁、長根Ⅱ遺跡の北隣に位置する。現状は畑・果樹園と栽培場である。
古代の遺物包含地である。

59. 中道(なかみち)遺跡
小袋遺跡に南接する。
縄文期の集落跡、古代の遺物包含地である。

60. 大沢Ⅰ遺跡
北上川東岸地区南東四半分は130~210mの丘陵地帯である。丘陵地西側には谷底平野が広がるが、この高位に属する丘陵地にも3本、奥深い開析性谷底平野が走る。
このうち中間の谷底平野の入口部分北側は、まとまりのある傾斜面となっている。大沢Ⅰ遺跡がのる南斜面である。現在は、宅地・畑に利用されている。
土師器・須恵器が出土する古代の集落跡として周知されてきたが、今回の踏査では縄文土器や石器も表採している。後述する大沢Ⅱ遺跡と比較しても、当然のことであろう。

61. 大沢Ⅱ遺跡
3本の開析性谷底平野のうち、北のものと中間のものを結ぶ形で、小規模な低位段丘が保存されている。西に緩やかに傾斜しており、谷底平野との比高は約10mを測る。
本遺跡はこの段丘面にのり、畑・宅地に利用されている。
縄文・古代の遺物包含地である。

62. 荒屋敷Ⅰ遺跡
北上川旧河道の湾曲部から南の現河道沿いにかけての谷底平野には、高さ4~5mほどの崖が走る。
本遺跡は湾曲部南の崖上面にのる。『花巻市埋蔵文化財包蔵地分布図』では後述するⅡ遺跡も含めて周知していたが、遺跡中央南北に旧河道が入ることが確認され、本稿で細分することとした。現状は畑・田・宅地である。
昭和62年度、花巻農免道敷設の際踏査したところ、焼土と土師器片が検出された。古代の集落跡である。

63. 荒屋敷II遺跡
遺跡の西辺は、前述した旧河道に向かって緩やかに傾斜している。現状は畑・果樹園・宅地である。
古代の集落跡である。

64. 穂貫田(ほぬきだ)遺跡
県道花巻・北上線をさらに南下すると、市道高木-穂貫田線との交差付近の集落に入る。この集落、また本遺跡がのる面は、周囲より一段高まる谷底平野である。遺跡南東辺と市道の間には北上川旧河道があり、丘陵地裾部へ延びている。遺跡の現状は宅地・畑・水田である。
今回の分布調査で確認された遺跡で、表採された遺物は土師器・須恵器が主体である。

65. 薬師館
穂貫田遺跡から東を臨むと、標高168.4mの丘陵薬師岳がある。薬師岳の東側は開析を受けている。また西側は北上川の侵食により急峻な崖となっている。薬師館は尾根部分と西側緩傾斜面を利用した縄張りとなっている。現状は山林である。
昭和63年度、瀬川司男氏が調査を行い、報告している。以下、概観を引用する。
「(前略)館の最頂部の標高は約152.6mである。
薬師館の縄張りは尾根の北端に東西約40m、南北約18mの長方形の郭をつくり出し、その東側に東西約9m、南北約18mの小郭をつくり出し、3条の堀と8段の帯郭をつくり出している。(以下略)」
また時期、性格等については、
「薬師館は(中略)山城形式の館である。時代は不明であるが、急峻な崖を利用しており、主郭が比較的小さいこと、東側に抜けることの出来る縄張りなどから居館とは考えられず、戦時における防禦のための砦や、一時的な陣屋として用いたものと考えられる所から、戦国時代と考えたい。」
としている。(注)

66. 大木遺跡
県道花巻・北上線の市界付近に、小さな集落がある。これが大木遺跡であり、現在は宅地のほか主に畑として利用されている。北上川旧河道はこの遺跡をかすめ、丘陵地直下で湾曲している。旧河道面との比高は1mほどである。
今回の分布調査で確認された遺跡で、縄文・古代の遺物包含地である。分布は薄いが縄文土器・須恵器が表採されている。

67. 長志田遺跡
南東四半分を占める丘陵の、最南の開析性谷底平野に立地する。平野は、猿ヶ石発電所のある入口部から東へ、徐々に高度を増しながら750mほど延びている。現状は水田・宅地である。
ただし未踏査の遺跡であるので、範囲は推定である。
縄文期の遺物包含地として登録されている。

(高木)
41. 下小路遺跡
北上川沿いの自然堤防上に立地する。遺跡南側には国道283号線が走る。現状は宅地・畑である。
本調査で確認された遺跡で、土師器・須恵器を表採できる古代の遺物包含地である。

42. 堰袋(せきぶくろ)Ⅰ遺跡
猿ヶ石川と段丘との間に形成された狭い帯状の谷底平野にある。現状は水田・畑である。
縄文土器・石器及び土師器が表採できることから、縄文期・古代の遺物包含地であることがわかっている。

43. 堰袋Ⅱ遺跡
猿ヶ石川が西へ曲折する付近の谷底平野にのる。この地域一帯は深い砂地に覆われており、(この)土壌を利用してのネギ等の生産栽培が行われている。
分布調査で所在確認した際には、掘り返されたのか、竪穴住居に伴うとも推測される焼土が発見された。古代の集落跡と考えられる。
表採された遺物は、土師器の杯(ロクロ糸切り、内面黒色処理・赤焼き両方)、甕、鉢、及び土錘2コであった。…

44. 蒼前堂(そうぜんどう)遺跡
低位段丘の西へ突出した部分にある。周囲の谷底平野との間に、高さ3~4mの崖をなしている。遺跡中央を国道283号線が横断しており、宅地・畑に利用されている。
縄文期の遺物包含地であると登録されている。

45. 上台(うわだい)Ⅰ遺跡
低位段丘の南端、丘陵地の足下に位置する。現状は宅地・墓地・畑である。
縄文期の遺物包含地であると周知されていたが、今年度行われた地区公民館増築に係る発掘調査で、東にカマドを持つ竪穴住居1棟が検出され、墨書土器を含むロクロ成形の杯、甕等の土師器、須恵器が出土した。これにより、縄文期の包含地であると同時に古代の集落跡であることが判明した。

46. 上台II遺跡
蒼前堂遺跡の東隣に位置する。現状は水田である。
縄文期の遺物包含地として周知されている。

47. 上台Ⅲ遺跡
中位段丘の北西緩斜面に位置する。眼前に低位段丘、背後に丘陵がある。現状は宅地・墓地である。
昭和63年度の分布調査により確認された当初は後述するサイノ神遺跡も含めていたが、「花巻市埋蔵文化財包蔵地分布図」作成の際、細分した。
縄文・古代の遺物包含地であり、縄文土器・石器・土師器が表採される。

48. サイノ神遺跡
上台Ⅲ遺跡の北東、同段丘にある。遺跡東縁は崖となり、比高15mの谷底平野と接している。現状は宅地・畑・山林である。
分布調査した際、後期に属すると思われる縄文土器と、11世紀に属する土師器を表採している。…

49. 高木古館(こだて)遺跡
国道283号線朝日橋から東へ向かうと、右前方に森に覆われた丘陵が見える。この丘陵の突端が高木古館であり、標高94m、手前の谷底平野との比高は約20mである。
中・近世の城館跡であり、昭和29年に刊行された『矢沢村誌』にもその記事が見える。

50. 高木岡神社遺跡
高木古館の東に接する。この丘陵では最高位となる標高126mの平坦部から、西斜面一帯を占めている。現状は神社及び山林であるが、南側は高木団地に削られている。
旧村誌には、
「神社の西の山続きで南端の平地に、径1間半位の円境があって発掘されている。1尺ないし2尺くらいの山の石が30くらい掘出されている。掘った地主から話を聞くと、塚の底に純白の瓶が破れてあったということである。これは鎌倉初期時代の白磁らしく(中略)、この古境も経塚であったかもしれない。」
とある。

51. 久田野(きゅうでんの)Ⅰ遺跡
中位段丘に囲まれた丘陵地北東端部に位置する。現状は矢沢小学校及び土砂採取跡(荒地・原野)であり、ほとんど全壊に近い。
かつて矢沢小学校校舎建設の際、あるいはJR花巻駅西地区宅地造成のための土砂採取の際、大量の土器片・焼土が出土したという。縄文中期(大木7~8式)の集落跡である。

52. 久田野Ⅱ遺跡
久田野Ⅰ遺跡の南、中位段丘面にのる。遺跡の南北には大きな谷が入り、東側は高さ20mほどの崖が走る。足下には猿ヶ石川が北流している。冬期には遠く、早池峰山を臨むこともできる。現状は原野・山林・住宅団地であり、中央を市道上台-中野線が横断している。
昭和60年の住宅団地「高木ニュータウン」の造成に係る発掘調査において、遺構は確認されないとの報告がある。その後、ニュータウン北東隣接部の開発申請があり、平成元年度試掘調査を行った。その結果、縄文中期中葉の集落跡であることが確認された。

53. 高木中館
国道283号線から県道花巻・北上線を南下すると、600mほどで集落に入る。谷底平野にあって、周囲よりやや高い地形である。遺跡南側には、大きく湾曲した北上旧河道が残る。
縄文・古代の遺物包含地である。

54. 八ツ森遺跡
高木中館から東を臨むと、谷底平野に突き出た小高い丘がある。八ツ森山と称されるこの丘陵の南西斜面にあってわずかに傾斜の緩む地に、本遺跡がのっている。谷底平野との比高は約15mである。
昭和61・62年度に土砂採取事業に伴う調査を行った際、竪穴住居2棟が検出された。一方は南壁に、他方は北東隅にカマドを有しており、小規模な方形プランを呈する。またこれに伴い、ロクロ使用の土師器・須恵器が出土している。この他に縄文土器・石器の出土もみられる。
以前は山林であったが、現在は壊滅した。

豊沢川南地区 (一部)
27. 外台川原(とだいかわら)遺跡
北上川右岸の自然堤防にのる。遺跡西側には、低位段丘を深く侵食した北上川旧流路が残る。現状は水田である。
古代(土師器)の遺物包含地であることが確認されている。

28. 十二丁目(じゅうにちょうめ)
北上川旧流路に侵食された低位段丘の南岬部分に立地する。北の一部は比高12mほどの崖をもって北上川と接しており、侵食が大きい。東辺部の下には谷底平野が広がる。現状は宅地・針葉樹林である。
土塁・堀が確認されている。中・近世の城館跡で、十二丁目氏(伊藤氏)の居館と考えられており、「獅子(鹿)ヶ鼻城」とも呼ばれている。
また昭和62年度に行われた花南農免道敷設工事の際、縄文早期の尖底土器(図-10)が表採されている。

30. 成田Ⅰ遺跡
北上川に張り出した、谷底平野縁辺部に位置するよく発達した段丘で、遺跡下には崖が走る。現状は集団ワイ化リンゴ園・水田・畑である。
土師器・須恵器の破片が表採でき、古代の遺物包含地であることが知られている。…

(2016.9.5掲)

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