「大木家代々書留記」 拾い読み

「東十二丁目誌」の著者・石崎直治先生が調査・記録した「東十二丁目古文書目録」(1)には1,239件の古文書が載っていますが、そのうち543件が大木家文書であり、その中に「代々書留記」があります。
この史料は「花巻市史・資料篇(矢沢地区地方文書其之一)」(2)にその全解読文が収録されており、「凡例」の中で次のように紹介されています。

《「代々書留記」は、矢沢東十二丁目、大木直義氏所蔵のものである。大木家は屋号を「大木」といい部落の大本家である。この冊子は正保二年(1645)から天明五年(1785)までのこの地方の重要な事件を、年代を追って記録したものであり、検地、凶作、新田開発、神社などについての内容は好資料を提供するものである。》 続きを読む 「大木家代々書留記」 拾い読み

「島郷土史」の目指したもの

「島郷土史」(昭和16年編纂)は「東十二丁目誌」などでしばしば引用される文献ですが、これまで直接手に取ったことがありませんでした。1年以上かかってしまった「石崎文庫」の整理が一段落したので、当文庫所蔵の「歓喜寺文書」の中にある「島郷土史」を読んでみると…
まず思ったのは意外にページ数が少ないこと。それに毛筆の手書きなのです。そして表紙が付いていない。元々なかったのか、コピーするときに抜けたのかはわかりません。毛筆書きの「島郷土史」の前に、ガリ版刷りと思われる「過去帳保存庫並に郷土史編纂に就て」と題した文書が置かれています。
しかしこのプロジェクトの実施主体がはっきりしません。島区民会とか歓喜寺護持会のような団体だったのか、個人有志に依るものだったのか。 続きを読む 「島郷土史」の目指したもの

照井・アテルイ・薬師館

(石塚喜墱著「照井庄誌史・系譜集録」(S60年頃か?)より)

《…照井家の始祖は照井武弘と称し、又押影中将とも言った。その居住地は照井庄と称していた、往古夷首阿弖流為(アテルイ)と言う者が居城していた城下部落である。城跡は山岳部にあって今は薬師堂が祀られてある(注2)。此処地は岩手県花巻市内の東南部に位置し今は東十二丁目と言われている。此の山岳の下は東北新幹線が通っている。… 続きを読む 照井・アテルイ・薬師館

記憶の中の「島」

  自足の郷
私が育った島(東十二丁目)は、当時正式には稗貫郡矢沢村東十二丁目といい、人口は1,300人(270世帯)程度だったようです。今にして思えば、この部落には生活に必要ないろいろなものが揃っていました。

小学校  島小学校、私の家から歩いて10分。私が島小学校に入学したのは昭和23年(1948)、新制小学校発足の年で、矢沢小学校島分教場から島小学校になった時です。 続きを読む 記憶の中の「島」