亮次郎の父・照井亮蔵

(川路賢一郎著「シエラマドレの熱風」(2003.3.24 パコスジャパン)より)
照井亮蔵亮次郎の父・亮蔵は漢方医であり、矢沢村会議長になるなど、村の名士であった。素封家、いわゆる「金持ち」であったが、社会事業には金は惜しまず使ったという。「医師 照井亮蔵」について次のような記録がある。

「照井亮蔵は弘化元年12月3日、照井良作の長男として矢沢村東十二丁目に生まれた。亮蔵は小さいときから頭の良い子であったらしく、父の良作は平民の子は医者にするのがよいと思い、13才になった安政4年に、和賀郡轟木村に住んでいた高田了碩という漢方医に弟子入りをさせた,
1年10ヵ月間、了碩について医術を学んだ亮蔵は、安政6年3月に花巻村の嶋李蹊について医術を勉強したという。この間4年10ヵ月、計6年8ヵ月間修行した亮蔵が、開業できたのは元治元年の正月、20才のときであった。開業は東十二丁目である。 続きを読む 亮次郎の父・照井亮蔵

亮次郎年譜

「シエラマドレの熱風」の巻末に付いている年譜を基に、「亮次郎年譜」を作ってみました。
亮次郎年譜
これだけでは彼の行動で見えないところがありますので、今後折を見て追補していきたいと思っています。

ところで「シエラマドレ」はSierra Madre でメキシコの山脈の名前、sierra:山脈、madre:母だそうです。
この山脈はメキシコの北西から南東に連なる大山脈で、延長2400km、標高は3000m以上に達するとのこと。北から南へ西シエラマドレ山脈、東シエラマドレ山脈、南シエラマドレ山脈が横たわっています。

(2014.5.4掲)

照井亮次郎

ここ半年ばかり照井亮次郎についてあれこれ調べています。
ことの発端は盛岡に住む旧友S君からのメールでした。
「こんにちは! 照井亮次郎の生家 北上川の東岸、花巻市長根とあるけど、どの辺かな? 昭和59年3月16日母屋一棟消失したようです。」

そして私の返事
「長根の高島道路ぞいに金比羅神社があり、その南側の空き地が焼けた家のあったところです。そこにはかつて秀(しゅう)さんという女性が一人で住んでいましたが、火事のあと失意の中で亡くなったようです。

私の記憶に残っているのは、彼女の家には猿がいて、ちょっと変った家だったということ。子供の頃猿を見るためだったのか、時々遊びに行ってました。

母に電話で聞いたところでは:
秀さんはメキシコに行った人(亮次郎?)の娘か姪。台湾で教師をしていたが、戦後帰郷。その時猿や珍しい動物を持ち帰ったらしい。お花の先生などをして一人で暮らしていた。一生独身。…

最近つくづく思うのですが、身近に色々な人がいたのに、何も知らずに年を重ねてしまいました。若い頃に知っていれば、感化されるところがあったかも知れないのに。知る機会のなかったのが残念!!!」

彼のメールを読んだ段階では照井亮次郎について全然覚えがなかったのですが、手元にある「東十二丁目誌」を見ると、載っていました。「拓殖家 照井亮次郎」と題した8行の紹介記事が!!!

亮次郎
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