(川路賢一郎著「シエラマドレの熱風」(2003.3.24 パコスジャパン)より)
亮次郎の父・亮蔵は漢方医であり、矢沢村会議長になるなど、村の名士であった。素封家、いわゆる「金持ち」であったが、社会事業には金は惜しまず使ったという。「医師 照井亮蔵」について次のような記録がある。
「照井亮蔵は弘化元年12月3日、照井良作の長男として矢沢村東十二丁目に生まれた。亮蔵は小さいときから頭の良い子であったらしく、父の良作は平民の子は医者にするのがよいと思い、13才になった安政4年に、和賀郡轟木村に住んでいた高田了碩という漢方医に弟子入りをさせた,
1年10ヵ月間、了碩について医術を学んだ亮蔵は、安政6年3月に花巻村の嶋李蹊について医術を勉強したという。この間4年10ヵ月、計6年8ヵ月間修行した亮蔵が、開業できたのは元治元年の正月、20才のときであった。開業は東十二丁目である。 続きを読む 亮次郎の父・照井亮蔵