私は音楽に詳しいわけでもないし、愛好家という程でもないが、音楽をBGM程度に聞き流すことはよくある。特に2年前に一人暮らしになってからは、テレビ放送を見ることが激減し、代わりにインターネットで音楽等を視聴することが多くなった。
本稿は閑話…最近見聞きしている音楽について書き散らす。
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利根運河会社支配人・森田繁雄の足跡
利根運河のビリケンさんや利根運河大師を追っかけているうちに(注1)、両者の生みの親とも言える利根運河会社支配人・森田繁雄のことが気になってきました。「森田繁雄」とは何者なのか?如何なる経歴の持ち主なのか?
利根運河のビリケンさんと新四国八十八ヶ所
私鉄・東武野田線(現在では「東武アーバンパークライン」と言うらしい)は大宮から柏を経て船橋に至る路線で、その途中、大宮から小1時間程の所に運河駅がある。「運河」とは変わった駅名だが、これは駅のすぐ北側を東西に流れる利根運河に由来する。
本稿は利根運河にまつわる「ビリケンさん」と「新四国八十八ヶ所」について紹介するものだが、先ずはその前置きとして「利根運河」について概観する。
続きを読む 利根運河のビリケンさんと新四国八十八ヶ所東十二丁目誌補解の補 覚書:
音坂佐藤家
私の家の本家を「音坂(おとざか)」という。東十二丁目では、明治維新前から続いている有力旧家の一つと言えるだろう。我家はその音坂の隠居分家で、「隠居屋」と呼ばれていた。
本稿では音坂の現在から数えて2代前の当主、素一(そいち)と3代前の当主、孝清(こうせい)について記す。素一さんは私の祖母の弟である。
素一さんについて、まず「稗貫風土記 第1巻 人物篇」(八木英三編 昭和26年4月発行)の記事を転載する。大東亜戦争とその前後を足早に駆け抜けた一人の男の物語…
音坂佐藤家
回想のコンピュータ
私がコンピュータ(電子計算機)と出会ってからかれこれ60年以上が過ぎた。80歳を過ぎた今思うに、若いうちにコンピュータと馴染むことが出来たのはラッキーだった。
2年前に「東十二丁目誌補解」を自費出版したが、この本の謝辞の中に次のように記した。
「東十二丁目誌」補解の補覚書:
回想の北上川
▪ 瀬音
私が小学生や中学生だった頃(昭和30年前後)の思い出…
夜中にふと目が覚めると、北上川の瀬音がかなり大きく近くに聞こえることがあった。
我家の西側5~600mのところを北上川が北から南に流れており、少し下ったところに浅瀬があった。その浅瀬を流れる水の音だと思うが、普段は聞こえない。水位の加減なのか、風向きのせいなのか、湿度とか気温が関係しているのかもしれない。妙に今でも耳に残っている。
回想の北上川