「東十二丁目誌」補解の補覚書:
カスリーン台風とアイオン台風

私の台風の思い出
終戦直後の昭和22年と23年に東十二丁目(以下「東十二丁目」の別称「島」と記す)は台風による水害に見舞われた。22年がカスリーン台風、23年にアイオン台風。当時はカスリーン台風をキャサリン台風と呼んでいたように思う(注1)。私は23年の小学校入学なので、小学校入学の前後、77~8年も前のことである。自分の断片的な記憶を辿ってみると、カスリーン台風だったのかアイオン台風の時だったのかは定かでないが…

○我家があった荒屋敷部落の北側 300m位のところに長根部落がある。その間は低地になっていて、普段は田や畑なのだが、その時は濁水に満たされ、水が東から西に流れていた。水流の強さまでは記憶に無いが、色んなものが流れ来り、流れ去っていった。

木や草の塊が次から次へと流れていく。鎌首をもたげた蛇が泳ぐだか流されるだかしていく。小さな小屋が流されていく。その小屋の屋根の上では山羊だったか犬だったかが鳴いていた。
この濁流の流れているところが昔の北上川の河道跡と知ったのは大分後のこと。

○水が引きかけた時だったろうか、小舟で長根部落に近づいてみると、家々の壁面にイナゴがぎっしり集まりへばり付いていた。

○水が引いた後は驚きだった。島の西側、北上川までの間がまるで砂漠! 一面砂に覆われている。ある所は砂がうず高く積り砂丘の体をなし、ある所は大きくえぐられて水が溜っている。
それまでは主に畑だったと思うが、これからどうするのか?…と心配になったが、いつしか畑に戻り、起伏も緩やかになっていった。農家の苦労は大変なものだったろう。重機を使って砂を取り除いたとか、土地を平らにしたという記憶はない。

「東十二丁目誌」の「第9章 現代(戦後)」の「第6節 台風襲来」に古川安忠先生(注2)が残した記録が掲載されている。この記録に若干加筆して、以下に再録する。

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台風襲来
昭和22年7月初旬
より降雨多く、第1回北上川氾濫せり、続いて8月に至り第2回の水害あり。これにより低所の水田の稲作は収穫皆無の状態となる。冠水の野菜も大方は腐り果て収穫なし、大豆は所により5割減程度の収穫予想なり。しかし春以来丹精の農作物に2回に亘る水害を受け一時放心の状態なりし百姓も、その後元気を取戻し、秋の野菜の蒔付に敢斗せり。
やや回復せし天候に平年作の稲作予想をなし、盆も過ぎ二百十日、二百二十日も事もなく過ぎ安堵の胸を撫し居りしに、

9月15日に至り、突如襲へるカザリン台風は、関東、東北を水浸しとして太平洋に去る。
中心を外れしものの如く風速は10m内外なるも、降雨量は150mm乃至(ないし)200mm、急速に水量を増したる支川の水は北上川に溢れ、15日午後2時頃より夜半に至り、未曽有の大水害となる。即ち高木、朝日橋付近より越岸せる濁水は、高木下通り部落をひとなめしとし、島長根部落全部を浸水、余す所一軒もなし、増水量10数尺に達し上組3戸…を浸水、床前屋敷を超えて濁水山岸に至る。

小袋の低所を溢れし水は熊組、二津屋の水田を冠し、薬師山の下を流る。為に中央道路は川となり通行し得ず、また穂貫田、下組部落は耕地と共に全戸数水浸しとなる。遁(のが)るる場所なく、屋根に上り救いを求むる声悲壮を極む。

16日8時山に登りて俯瞰すれば島の如く見ゆるは唯中道と小袋の一部なり(注3)。同日午後に至り明戸整理田現出、長根部落救援の小舟は浸水外部落よりの食糧・水を運びて救援連絡をなす。
穂貫田、下組は筏を組みて同じく救援をなせり。島を冒せる濁水は北上川河岸を溢るる濁水と混流して更木村を襲う。残るは大竹のみ。二子宿も惨澹(さんたん)たる状態なり。家財の流失、家畜の遺失等被害甚大を極む。島浸水家屋83戸(注4)、死者なし。

濁水は17日朝8時各冠水場所より完全に引く。長根人形立場は泥積数尺、作物埋没して見えず、其観恰(あたか)も吹雪溜りを見るが如し。何れの区劃(くかく)も田畑の境界も識別し難し、泥湖曇天の下に鈍光を放つに似たり。
鉄道は不通となり、電灯線、電話線は流失家屋の材木の為に切断、夜は漆黒の世界を現出、通信不能、1週間を経過して初めて各地の被害を知るに至る。

なお花巻町内の被災状況とその後の経緯などを「カスリン・アイオン台風と瀬川の切替え -北山愛郎町長の仕事-」に掲載してある。

次に、北上川流域全体の被災状況を「明治以降における北上川治水の歴史地理学的分析に関する覚え書」(注5)より抜粋、転載する。

2大台風と被害状況
岩手県と宮城県にとっては忘れえない2大台風がある。それらは、カスリン台風とアイオン台風で、しかも2年連続して来襲したのである。
まず前者から説述すると、カスリン台風は昭和22(1947)年9月12日から16日にかけてのことであり、12日未明より降り出した雨は台風の前兆となり、台風の接近とともにますます雨勢を強め、特に14日から15日にかけて岩手県下一帯は大豪雨となった。その結果北上川と閉伊川流域は甚大な被害を受けた。その間の盛岡の雨量は173.3mmであった。県下一帯の豪雨により孤禅寺峡谷部における水位は15.6mにも上った。平均水位は11.9mである。その氾濫面積は26,017町歩にも及んだ。その被害は死者45名、行方不明44名、傷者1名、家屋倒壊274戸、流失家屋422戸、浸水家屋29,265戸、冠水水田2.7万余町歩、冠水畑地1.4万町歩弱、耕地流失2,828町歩、道路決壊493、橋梁流失282、堤防決壊263ヵ所であった。その被害総額は岩手県だけで54億円であるが、宮城県の被害額を加えると67.5億円にも及ぶ。

…カスリン台風が来襲する前に、霜害、冷害、それに豪雨があった。具体的には5月4日に県下に霜害があり、6月下旬には異常低温が続き遅延型凶作となった。

カスリン台風の前に、本年の台風の第1波ともいう台風が7月22日から24日にかけて、豪雨を伴って襲った。7月20日から降り出した雨は22日から24日にかけて豪雨となり、特に胆沢・江刺両郡の水田に甚大な被害を与えた。その間の盛岡の雨量は146mmで、一関355mmであった。
…次に2波ともいうべき豪雨が、8月1日に第1波の豪雨の再来のように降り、3日にかけて降り続けた。その間の盛岡での雨量は164mm、一関85mm、湯田では343mmを記録している。そこで和賀川は大洪水となり、江釣子村の猫谷地で堤防決壊し、横黒線(北上線)は不通となった。…
この第2彼の傷が癒えないうちに,第3波ともいうべきカスリン台風が襲ったのである。

その翌年,また9月に超大型の台風が来襲した。それがアイオン台風である。この年の大台風も前年の大台風力スリン台風と同じく突如として来襲してきたのではなく、その前に種々の災害があった。
1月14日朝から降雨となり、15・16の両日は降雨となった。しかも、暖気のために融雪増水となった。その間の盛岡の降水量は33mm、一関28mm、沢内115mmであった。
次は,5月27日から28日にかけて大雷風となり、胆江地方に甚大な被害を与えた。…その間の盛岡の雨量は88mm、花巻35mm、一関102mm、若柳205mmで、岩手県県央には雨量少なく県南に多く、従って被害も県南に多かった。…

次に来襲したのが史上稀にみる超大型の台風アイオン台風である。9月15日の夜から降り出した雨は16日の午前中までは唯の降雨であったが、午後2時頃から猛烈な豪雨となって深夜まで続いた。その間の雨量は盛岡で152mm、… 花巻179mm、水沢285mm、一関259mm、… 宮古250mm、遠野254mm、世田米334mmであり、特に水沢・遠野・宮古以南は記録的な豪雨であった。その被害もまた甚大で、人的犠牲者 死者392名、行方不明296名、傷者1,403名、建物全壊550戸、半壊1,668戸,流失家屋840戸、床上浸水家屋1.4万戸近くで、床下浸水家屋は1.2万戸弱であった。なお堤防決壊は1,800ヵ所、道路の決壊860ヵ所余、橋梁流失1,500橋弱、冠水水田4万町歩、冠水畑地2万町歩、及び流失埋没耕地は7,700町歩余で、その他、水産・林産施設や産物にも甚大な被害を与えたのである。その被害総額は127億円にもなり、岩手県は大打撃を受けたのである。それに加えて鉄道と通信施設にも甚大な被害があり、山田線は寸断同様の状態で、その復旧には数年も要するといわれた。

県下の河川流域、特に北上川沿岸では昨年のカスリン台風の被害が大きく、その復旧が未完成であったので、今回の台風の被害はより激甚であったといえる。前述したが,一関市南部の孤禅寺峡谷部のために,その峡谷部上流の一関市付近に北上川の河水が湛水する。それ故磐井川の増水が恰も大津波のように逆流し,一瞬にして一関市街の人家を襲い流失してしまったといわれる。…

[補足]
(注1) カスリーン台風
:「カスリン台風」や「キャサリン台風」などとも呼ばれるが、日本語表記が錯綜していることが問題となり、1949年(昭和24年)には、気象庁が台風の名前の日本語訳を決め、通達を出し、現在はカスリーン台風という呼び名に統一されている。
(注2) 古川安忠先生
(注3) 荒屋敷部落もほとんど浸水を免れた。
(注4) 当時の島の全戸数は270戸程か。
(注5) 「明治以降における北上川治水の歴史地理学的分析に関する覚え書」:山田安彦著、1975.10. 岩手大学リポジトリ ⇒ https://iwate-u.repo.nii.ac.jp/record/12066/files/erar-v35p97-122.pdf

(2024.1.31掲)

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