資料

旧高松村」 (矢沢村誌、1954)

矢沢高松寺」 小原無学 (奥羽史談 第21号、1957)
高松寺考」 溪韻子 (猿ヶ石叢書 第34号、1962)
高松寺跡」 (矢沢地区文化財調査報告書Ⅱ、1990)

経塚の発掘」 横川融三 (猿ヶ石叢書 第39号、1966)
  ・高松の経塚
経塚森・寺場・綱森」 (H4年度花巻市内遺跡詳細分布調査報告書 -矢沢地区-、1993)

花巻市内発掘調査報告一覧

▪南部叢書(注1) 第五冊
 ・邦内郷村志(注2) 巻八
  「高松村
    旧観音堂、西大坊迹、東大坊迹、綱森、経塚、石華表
    鞍掛村、観音堂、白山宮、高松寺

▪南部叢書 第九冊
 ・吾妻むかし物語(注3) 上之巻
  「とうせん(東禅)坊の風の由来
    稗貫郡高松、石の華表、孤松一樹、高松寺
 ・二郡見聞私記(注4) 巻三
  「高松石の鳥居」 
  「高松の古観音

[補足]
(注1) 南部叢書(なんぶそうしょ):南部藩に関する主に江戸期の史料を収めた書籍。全10巻に索引巻を加えた11冊からなる。編著者は郷土史家の太田孝太郎(元盛岡銀行常務、岩手日報(旧)社長)。
南部叢書刊行会により1927年(昭和2年)~ (昭和5年)にかけて出版された。岩手県を中心に青森県、秋田県の一部に及ぶ旧南部領内の、風土記、史料、地理紀行、詩文、伝奇、漂流記などの文献を収録している。
復刻版は1970年(昭和45年)に歴史図書社より出版された。

(注2) 邦内郷村志:⇒「解題
・乱丁あり。p.1とp.2が前後逆になっている。
松井道円:「花巻物語事典」に1965年10月14日の岩手日報の記事を引用して、《花巻市志戸平温泉に徳川時代の京都の医者で画家でもあった松井道円の詩碑が近く建立される。道円は元禄(1688~)のはじめに南部藩の南部直政に招かれてみちのくに来た際に、花巻に滞在して志戸平を訪れていた。》とあるが、
宗青寺 / 政直治政下の花巻」には《政直は矢沢千手観音を信仰し、北上川洪水の節は熱心に参詣された。差しつかえがあり参詣出来ぬ時は自ら描いたその千手観音を拝するほどであった。京から下向し、大迫に居住した浪人絵師松井新三郎に改めて千手観音出山の絵を写させ、さらに床の間、菊の間の絵を描かせてそれらは利直公にもほめられたという。新三郎の子供松井道円(友梅)は『吾妻むかし物語』『胡四王山縁起』を残し代々狩野派の絵師として重信公代に花巻城の襖絵を描く一方、医師・史家として知られる。『台温泉一見記』はその子可敬が享保十六年(1731)にまとめたものである。その他『和賀・稗貫郷村志』によって花巻の歴史が今日に伝えられている》とある。

(注3) 吾妻むかし物語:⇒「解題
(注4) 二郡見聞私記:⇒「解題

[参考]
雄弘ヨーガ

(2020.10.30掲/23.10.12改)