「東十二丁目誌」補解の補覚書:
回想の北上川

▪ 瀬音
私が小学生や中学生だった頃(昭和30年前後)の思い出…
夜中にふと目が覚めると、北上川の瀬音がかなり大きく近くに聞こえることがあった。
我家の西側5~600mのところを北上川が北から南に流れており、少し下ったところに浅瀬があった。その浅瀬を流れる水の音だと思うが、普段は聞こえない。水位の加減なのか、風向きのせいなのか、湿度とか気温が関係しているのかもしれない。妙に今でも耳に残っている。

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回想の北上川

「東十二丁目誌」補解の補覚書:
カスリーン台風とアイオン台風

私の台風の思い出
終戦直後の昭和22年と23年に東十二丁目(以下「東十二丁目」の別称「島」と記す)は台風による水害に見舞われた。22年がカスリーン台風、23年にアイオン台風。当時はカスリーン台風をキャサリン台風と呼んでいたように思う(注1)。私は23年の小学校入学なので、小学校入学の前後、77~8年も前のことである。自分の断片的な記憶を辿ってみると、カスリーン台風だったのかアイオン台風の時だったのかは定かでないが…

○我家があった荒屋敷部落の北側 300m位のところに長根部落がある。その間は低地になっていて、普段は田や畑なのだが、その時は濁水に満たされ、水が東から西に流れていた。水流の強さまでは記憶に無いが、色んなものが流れ来り、流れ去っていった。

木や草の塊が次から次へと流れていく。鎌首をもたげた蛇が泳ぐだか流されるだかしていく。小さな小屋が流されていく。その小屋の屋根の上では山羊だったか犬だったかが鳴いていた。
この濁流の流れているところが昔の北上川の河道跡と知ったのは大分後のこと。

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カスリーン台風とアイオン台風

「東十二丁目誌補解の補」

昨年「東十二丁目誌補解」を出版したのですが、印刷所から届いた「補解」を手に取った時の第一印象は、「軽い!」、「何か物足りない!」でした。A5版 318ページの本なのですが、もっとページ数が欲しいような… 内容ももっと入れるべきものがあったのではないか…

私が通った島小学校では同級生が44名。存命の同級生30名に「補解」を贈ったのですが、郵送した後で、同級生に興味がありそうなことをもっと載せておけば良かったと思ったり…
同級生のためだけではありません。私たちが小学校に入学したのは昭和23年(1948)、終戦後間もなくの事で、新制小学校が発足した年です。終戦直後の東十二丁目や島小学校の様子を記録に残しておくことも意味あることではないか。

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「東十二丁目誌」註解 (web版)

2016年の正月に、「今年の初夢は、「石崎直治著『東十二丁目誌』註解」を書くこと。完成目標は、『東十二丁目誌』発刊30周年に当たる平成32年(2020)、遅くとも私が80才になる翌33年。」と書きました。そしてグズグズしているうちに「平成33年」が終ろうとしています。

まだ気になる所が諸々残っていて「完成」とは言い難いのですが、「『東十二丁目誌』註解 (web版)」として公開することにしました。来年はこれに手を加えつつ、「印刷版」を仕上げたいと思っています。

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「東十二丁目誌」註解覚書:現代概観

石崎直治著「東十二丁目誌」(H2.2.28 同人発行)の最後の2章である「第9章 現代(戦後)」と「第10章 郷土の先人」を概観する。
第9章と第10章は夫々31ページと11ページを占めるが、「東十二丁目誌」全390ページの8.5%と2.8%に過ぎない。

9 現代(戦後)
1 戦後処理から民主的再建へ (概説)
本節では昭和20年のポツダム宣言受諾から昭和末期の高度成長期終焉までをごくごく簡潔に要約しているが、東十二丁目や矢沢村への言及はない。
終戦時の東十二丁目の動きなどを知りたいところであるが、資料がなかったためか何も記されていない。
当時著者は出征中で、中国湖南省の洞庭湖上で終戦を迎えた。東十二丁目に帰還したのは昭和21年6月であった。(注1) 続きを読む 「東十二丁目誌」註解覚書:現代概観

「東十二丁目誌」註解覚書:写真資料アルバム

「東十二丁目誌」の著者・石崎直治先生が撮影された写真の内、石碑と社寺に関するものは先に紹介しました。今回は「東十二丁目誌 写真資料」と題されたアルバムの写真を掲載します。
撮影時期は明記されていませんが、昭和60年前後(1980年代)と思われます。
先生が写真に書き添えたタイトルの他に、各写真に関連する「東十二丁目誌」の当該ページ番号と若干の補足を付記します。

写真 (右クリックで拡大表示できます。)

(連番) タイトル
・「東十二丁目誌」ページ

(1) (扉)
・何故か地図が逆さまに貼られている。

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