本誌の「第5章 近世 / 第10節 村の凶作」に、
《…凶作の歴史を見ると、…徳川260年間に75回-約3年半に1回の減作が出ている。
この内元禄…、宝暦…、天明…、天保…は本県の大飢饉の発生した年で、其の都度餓疫死者万を超え、宝暦5年(1755)の大飢饉には餓死者9,594人、空家7,043軒を生じ、…天明の大飢饉には、…餓疫死者64,698人、空家10,545軒、他領逃散者3,330人、牛馬の餓疫死するもの2万を越え、…天保の時も5万人以上の餓疫死者があって、犬猫、鼠牛、馬人肉を食し…》 続きを読む 「東十二丁目誌」註解覚書: 宝暦の大飢饉