亮次郎年譜

「シエラマドレの熱風」の巻末に付いている年譜を基に、「亮次郎年譜」を作ってみました。
亮次郎年譜
これだけでは彼の行動で見えないところがありますので、今後折を見て追補していきたいと思っています。

ところで「シエラマドレ」はSierra Madre でメキシコの山脈の名前、sierra:山脈、madre:母だそうです。
この山脈はメキシコの北西から南東に連なる大山脈で、延長2400km、標高は3000m以上に達するとのこと。北から南へ西シエラマドレ山脈、東シエラマドレ山脈、南シエラマドレ山脈が横たわっています。

(2014.5.4掲)

照井亮次郎

ここ半年ばかり照井亮次郎についてあれこれ調べています。
ことの発端は盛岡に住む旧友S君からのメールでした。
「こんにちは! 照井亮次郎の生家 北上川の東岸、花巻市長根とあるけど、どの辺かな? 昭和59年3月16日母屋一棟消失したようです。」

そして私の返事
「長根の高島道路ぞいに金比羅神社があり、その南側の空き地が焼けた家のあったところです。そこにはかつて秀(しゅう)さんという女性が一人で住んでいましたが、火事のあと失意の中で亡くなったようです。

私の記憶に残っているのは、彼女の家には猿がいて、ちょっと変った家だったということ。子供の頃猿を見るためだったのか、時々遊びに行ってました。

母に電話で聞いたところでは:
秀さんはメキシコに行った人(亮次郎?)の娘か姪。台湾で教師をしていたが、戦後帰郷。その時猿や珍しい動物を持ち帰ったらしい。お花の先生などをして一人で暮らしていた。一生独身。…

最近つくづく思うのですが、身近に色々な人がいたのに、何も知らずに年を重ねてしまいました。若い頃に知っていれば、感化されるところがあったかも知れないのに。知る機会のなかったのが残念!!!」

彼のメールを読んだ段階では照井亮次郎について全然覚えがなかったのですが、手元にある「東十二丁目誌」を見ると、載っていました。「拓殖家 照井亮次郎」と題した8行の紹介記事が!!!

亮次郎
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サイト開設に当って

このサイトのタイトルを「人そして川」、サブタイトルを「人はどこから来たり、どこへ行くのか?」としました。

ここで念頭にある「人」はまず故郷の偉人・異人たち、そして「川」は北上川です。
私の故郷は岩手県花巻市東十二丁目、通称「島」といいます。私は樺太で生れたのですが、終戦前に東十二丁目に引揚げてきて、3歳から高校卒業までをそこで過ごしました。

東十二丁目の偉人とは、例えば
照井亮次郎  榎本武揚に共鳴し、メキシコ移民の先駆者となった人
藤原金次郎  大棟梁で、「規矩的当図解」を明治末期に著した人

北上川は、東十二丁目の西側を流れているのですが、この近辺(北上川中流域)の河道の変遷とその影響に興味を持っています。

上の写真は、北上川西岸から眺めた東十二丁目方面、向こうの山並みは岩手県東部に拡がる北上山地の西麓です。

2014.4.29   SatoTak