石崎文庫

石崎先生(平成6年(2004)没)のお宅が、県道バイパスの用地内に入ってしまい、昨年取壊され、移転しました。そんなこともあってか、石崎先生の蔵書が石崎家から島区民会に寄贈され、現在は「石崎文庫」と名付けられて、島コミュニティセンターの図書室にあります。
「石崎文庫」には、一般の市販本だけでなく、「東十二丁目誌」の原稿や東十二丁目関係の古文書等のコピーも含まれ、「内史略」と「南部叢書」の全巻も揃っています。 [全文を読む]

「東十二丁目誌」註解覚書(4) -類書「高木村の歴史」-

「東十二丁目誌」はA5判、390頁、ハードカバーの本格的学術書といった趣の労作です。世に郷土史、地域史の書籍はあまたあると思いますが、その多くは市町村等の公共団体かその関連組織によって刊行されたもので、本書のように全くの個人がこのような著書を出版するのは珍しいのではないでしょうか。
…と思っていたのですが、 [全文を読む]

「東十二丁目誌」註解覚書(3) -満海坊-

「東十二丁目誌」に「満海坊」が5ヶ所に出てきます。いずれも島の開拓者として登場するのですが、この開拓はどこをいつ頃に行われたものなのか。そして満海坊とは一体どういう人物だったのか? 拙(つたな)い考証を試みます。

東十二丁目誌には次のように述べられています。
(1) 「第3章 古代」の「村の開拓」の中に、「弘仁元年(810)満海坊なるもの、島邑(むら)開拓記念として熊野神社を草創し、新米を供えて旧九月十五日祭典を行ったと由緒が伝えられている。」とあります。 [全文を読む]

「東十二丁目誌」註解覚書(2) -中世-

第4章 中世
第1節 中世と地方の動き
本節に東十二丁目への言及はありません。
稗貫氏については、「源頼朝は…奥州征伐に功のあった鎌倉武士にそれぞれ恩賞として東北各地を所領として与えた。この時岩手に派遣された御家人は次のように地頭として任命されている。…稗貫盛基 稗貫郡…」とあり、また「稗貫氏は足利時代には一時全盛となったが、広忠の代、天下の動きに対応を誤り、所領を没収され滅亡するに至った。」とあるのみですが、第4節以下で詳しく述べられています。 [全文を読む]

「東十二丁目誌」註解覚書(1) -地名・古代-

年初に「石崎直治著『東十二丁目誌』註解」を4~5年かけて纏めてみようかと思い立ち、今年は第1章から第4章までをやるつもりでいます。
本書には日本史の通史的な事柄等も含まれていますが、注釈を加えたり補足したりするのは、東十二丁目に直接関係する事項を中心に、拡げても精々稗貫・和賀両郡に関することまでに限るつもりです。

第1章 東十二丁目の地名
第2章 原始時代
第3章 古 代
第4章 中 世
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石崎先生の復員から退職まで

(石崎直治著「古稀の回想」(1982.8.15 非売品)より)

石崎先生   ■ 昭和15.7.15  動員下令野砲第八聯隊に入隊、
             独立輜重兵第十九中隊に編入
         8.1  弘前出発、南支及び中支を転戦す
   □ 昭和16.12.8  太平洋戦争始まる
   □ 昭和20.8.15  天皇、戦争終結の詔書放送
   ■ 昭和21.6.1  召集解除となる

…8月15日、ジャンク船で洞庭湖を航行中、通信の兵隊が、今日終戦の詔勅が出たと教えてくれる。
何か急に気抜けし、ボーツとなって表現し切れない複雑な感情が悩裡を襲う。
口惜しい、情ない、然し俺は生きている。これからどうなる。酒でもあったら、飲んで酔い何も彼も忘れる時間がほしい。
話し合う気力さえなく、皆思い思いの夢に酔っているようである。 [全文を読む]