石崎文庫

石崎先生(平成6年(2004)没)のお宅が、県道バイパスの用地内に入ってしまい、昨年取壊され、移転しました。そんなこともあってか、石崎先生の蔵書が石崎家から島区民会に寄贈され、現在は「石崎文庫」と名付けられて、島コミュニティセンターの図書室にあります。
「石崎文庫」には、一般の市販本だけでなく、「東十二丁目誌」の原稿や東十二丁目関係の古文書等のコピーも含まれ、「内史略」と「南部叢書」の全巻も揃っています。 続きを読む 石崎文庫

石崎先生の復員から退職まで

(石崎直治著「古稀の回想」(1982.8.15 非売品)より)

石崎先生   ■ 昭和15.7.15  動員下令野砲第八聯隊に入隊、
             独立輜重兵第十九中隊に編入
         8.1  弘前出発、南支及び中支を転戦す
   □ 昭和16.12.8  太平洋戦争始まる
   □ 昭和20.8.15  天皇、戦争終結の詔書放送
   ■ 昭和21.6.1  召集解除となる

…8月15日、ジャンク船で洞庭湖を航行中、通信の兵隊が、今日終戦の詔勅が出たと教えてくれる。
何か急に気抜けし、ボーツとなって表現し切れない複雑な感情が悩裡を襲う。
口惜しい、情ない、然し俺は生きている。これからどうなる。酒でもあったら、飲んで酔い何も彼も忘れる時間がほしい。
話し合う気力さえなく、皆思い思いの夢に酔っているようである。 続きを読む 石崎先生の復員から退職まで

石崎先生の誕生から応召まで

(石崎直治著「古稀の回想」(1982.8.15 非売品)より)

□   □明治43(1910).8  日本、大韓(韓国)を併合、朝鮮と改称
   ■明治45(1912). 3.15 (0才)  出生
  □ □明治45(1912).7.30  明治天皇薨去(61才)、大正と改元
幼き日
静かな村里、緑豊かな山に近く、はるか西の彼方には奥羽山系がくっきりと空を画し、曲りくねった道路の両側には大小さまざまな形をした田圃が並び、その間を縫うように小川が流れ、鮒や鰭をはじめ水に住む虫達が、きれいな水の中を思う存分泳ぎ廻り、水草も流れに逆らわずのんびりとゆれ動く。
そうした中に、大きな家、小さな家が点在する。私はその小さな萱ぶきの家に生を受けた。明治も末、四十五年三月である。
近くに老杉の大木に囲まれた神社(注1)があり、天照皇太神、住吉宮、山祇社と三つの社殿があって、秋のお祭りには家のすぐ前に長い幟が立てられ、終日ギーッ、ギーッとなっていたっけ。 続きを読む 石崎先生の誕生から応召まで

「東十二丁目誌」と石崎直治先生

MrIshizaki私が東十二丁目のあれこれを調べるに当ってまず参照するのが「東十二丁目誌」(平成2年刊)、その著者が石崎直治(なおはる)先生です。
先生は私が中学生の頃の矢沢中学校の教頭でした。昭和30年代のことです。先生は社会科と職業科を教えていましたが、私達の学年の担任ではなく、授業も担当していなかったと思います。そのせいもあって学校での先生の印象は薄く、あえて言えば、失礼な言い方ですが、「面白くもおかしくもない先生」という感じだったように思います。 続きを読む 「東十二丁目誌」と石崎直治先生