東葛探遊⑦:更級日記

『更級日記(さらしなにっき)(注2)は、平安時代中期に菅原孝標の女(すがわらのたかすえのむすめ)が書いた回想録です。作者の10代から50代にわたる約40年間の人生の軌跡が瑞々しい筆致で綴られています。

物語は、父親の赴任先であった上総国からの旅立ちで幕を開けます。当時、熱狂的な物語ファンだった少女の願いは「早く京へ上って、たくさんの物語を読みたい」という一心でした。
寛仁4年(1020年)、一行は京を目指して出発し、途中で下総国を通過して、現在の江戸川にあたる国境の太日川を舟で渡って武蔵国へと進んでいきます。
太日川を船で渡った時の描写に「川のほとりいとをかしげなり」と記し、広々とした川面や行き交う船に心を動かされた様子が伝わってきます。

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台湾で台湾人が歌う日本演歌② 蔡小虎特集

日本の演歌を唄う台湾人男性歌手で、まず第一に挙げたいのが蔡小虎(ツァイ・シャオフー / Cai Xiaohu)。彼の唄う「惚れた女が死んだ夜は」が気に入っている。彼が唄うこの歌を初めて聞いたのは4年前、妻が逝って間もなくの頃だったような…

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東葛探遊⑥:江戸川の渡し – 水面に刻まれた歴史の道

1. 江戸川の肖像:人工的に造られた大河
江戸川は、関宿(千葉県野田市)で利根川から分かれ、東京湾へと注ぐ全長約60kmの河川です。しかし、その姿は自然が作ったものではなく、徳川幕府による「利根川の東遷」という巨大プロジェクトの産物です。
かつて「太日川(ふとひがわ)」と呼ばれた旧流路を改修し、江戸を水害から守る「放水路」として、また東北・北関東と江戸を結ぶ「物流の幹線(舟運)」として整備されました。この歴史的背景が、後の「渡し」のあり方に大きく影響を与えることになります。

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台湾で台湾人が歌う日本演歌① 詹雅雯特集

はじめに:台湾の心を歌う歌姫
 台湾で「演歌」といえば、真っ先に名前が挙がるのが詹雅雯(ジャン(チャン)・ヤーウェン)(注1)です。彼女の歌声は、単なる美声にとどまらず、聴く者の魂を揺さぶる深い哀愁と力強さを秘めています。今回は、日本とも縁が深く、病と闘いながらも歌い続ける彼女の足跡を紹介します。

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東葛探遊⑤ 近世流山在のモザイク村 3郷7村

近世流山の在に複数の村がモザイク状に混在する地域があり、現在でもその痕跡が大字として残っている。
何故このような村が形成されたのか?経緯を辿ってみたい。

(1) 桐ヶ谷北村・小屋村
桐ヶ谷南村の北に位置する。西を江戸川に画され、田地は刺股状に入り込む村北部の低地に広がる。

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東葛探遊④ 葛飾郡初石新田

初石新田(はついししんでん)(注1)
〈流山市〉江戸川中流左岸,下総台地上に位置する。
 (現在:流山市江戸川台西3-4丁目、富士見台1-2丁目、富士見台、東初石1-4丁目、西初石1-5丁目、おおたかの森北1-2、東1・4、南1丁目 )

〔近世〕江戸期~明治22年の村名。下総国葛飾郡のうち。
近世中期、上野牧(かみのまき)開発に伴い同牧内に開かれた畑新田で、西は大畔新田・桐ケ谷新田、北西は中野久木村。享保15年(1730)小宮山杢之進・後藤庄左衛門の検地を受けて成立。幕府領として幕末に至る。同年の年貢割付状によれば高165石余、反別は下々畑7町6反余・林畑(注2)70町7反余・屋敷2反余。

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