2022年、今年の出来事

2月4日以来、今年2度目の投稿です。そして今年最後の投稿!
2月4日の年頭所感に、「先ずはこのブログをどうするか?結構手間隙がかかり、楽しみでもあり苦でもあり… 適当なところで幕引きにしようと思っています。」と記し、グズグズしているうちに今年も終ろうとしています。

今年最大のテーマであった「『東十二丁目誌補解』の出版」は割合順調に進み、6月に印刷することができました。
150部ばかり印刷し、国立国会図書館や花巻市立図書館に納本・寄贈したり、東十二丁目の神社に奉納したり、ご縁のある方々にお贈りして、残り50冊ほどになっています。
年頭所感に「『補解』の出版作業が順調に進めば、『東十二丁目誌補解・別冊』を考えてみようか、などと欲を出しています。」と書きました。来年はこちらに取り組んでみようかと思っていますが、どうなりますことやら…
書名だけは決めました。「東十二丁目誌補解の補」

印刷所から届いた「補解」を手に取った時の第一印象は、「何か物足りない!」でした。A5版 318ページの本なのですが、もっとページがあった方が良かったような… 内容ももっと入れるべきものがあったのではないか…
小学校の同級生30名に郵送したのですが、送った後で、同級生に興味がありそうなことをもっと入れておいた方が良かったと悔やんでいます。
同級生のためだけではありません。私たちが小学校に入学したのは昭和23年(1948)、終戦後3年の事です。終戦直後の東十二丁目や島小学校のあれこれを記しておくことは意味あることではないか。
今チョッと小学校当時の事を思い出してみると、昼寝・給食・野外映画会・部落児童会・つぶ(田螺)取り・停電・火事・水害・堅雪・馬橇・下駄スケート・水浴び・ターザンごっこ…いろいろありました。

亡妻 (2016年 74歳)

私にとって「東十二丁目誌補解の出版」が今年最大の出来事になるはずだったのですが、残念ながら「妻の他界」がそれに代わってしまいました。
妻が亡くなったのは8月29日、享年81(満80歳)。
直接死因:誤嚥性肺炎、影響を及ぼした傷病:慢性呼吸不全 とのことでした。
7月12日にベッド脇で転び、二度目の骨折で入院。左上腕骨骨折の手術を受け、その後リハビリに励んで(?)いました。ところが8月24日に至り肺炎に罹り内科病棟に移動、その後更にHCU(高度治療室)に移り治療を受けていましたが、回復しませんでした。

医師から呼ばれて病院に駆けつけた時には既に心肺停止状態でしたが、体温はまだ少し残っていました。
その後医師の死亡宣告を受けたのが29日17時57分。

入院した7月12日から亡くなった8月29日まで、コロナ禍のため一度も面会することができずに終りました。入院するために救急車に乗せられる時、「病院に行きたくない」と恨めし気に見つめられたのが、妻と顔を合わせた最後。その時は1ヶ月もすれば退院できるだろうと軽い気持ちで見送ったのですが…
入院中は面会できないので、週に1回程度読んでくれるかどうか分からない手紙を書いて、届けたり送ったりしたりしていました。最後の手紙は亡くなる5日前。看取った病室で看護師に「良い手紙でした」と声を掛けられたのですが、直ぐには応答できず…

思えば、妻は病(やまい)との長い付き合いでした。
2010年以降だけでも…
2010年8月に膵臓がんの手術を受け、一旦退院後10月に吻合部潰瘍・腹膜炎で再手術。退院後はしばしば摂食不良に陥り、胆管炎や肺炎で一度ならず入院したこともありました。
昨年4月に最初の骨折。この右大腿骨転子部骨折は手術なしで済みましたが、肺炎などで入院が70日余りに及びました。この時もコロナ禍で面会不可。
そして今年また骨折に肺炎!

昨年の退院時には要介護度5。家に酸素吸入や痰吸引の装置を置いて自宅療養を始めましたが、幸い数ヶ月の中に酸素吸入や痰吸引は不要となり、今年5月には要介護度2と判定されました。これで暫らく小康状態が続くかと思っていたのですが…
あれ程手放せなかった煙草も2年ぐらい前から止めていたのですが、遅きに失したということでしょうか。

妻は特にこの2~3年は「早く死にたい」が口癖。「80歳になるまでは生きていたら」となだめてきたのですが、今年4月で80歳になり、亡くなった8月29日は56回目の結婚記念日の翌日でした。

(2022.12.27掲/23.1.10改)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください