明治新撰規矩的当図解

規矩的当図解自  序

本書は専ら規矩的当図形(キクテキトズカタ)を画き、又算術にて其の理を解く事を示す(注1)。都(スベ)て規矩準縄は水平と縦水に勾配を引きて構成せる勾股玄(コウコゲン)に起れり。其の勾股玄は算盤(ソロバン)の三四五(サンシゴ)(注2)則ち曲尺(カネジャク)の起原なり。故に算術は方円平直に起り、方円平直は規矩準縄より起る。而て規矩準縄を以て為さざれば、真正の方円平直を求る事能(アタ)わず。 続きを読む 明治新撰規矩的当図解

棟梁 藤原金次郎

(石崎直治著・発行「東十二丁目誌」(H2.2.28)より)
天保7(1836)年3月10日東十二丁目村に生れ、大正8(1919)年11月10日84才の高令をもって病没。氏の著作を出版順に掲げると次の通りである。
・明治新撰規矩的当図解(注1)   全1冊  明治36年7月5日発行
・振墨一覧卒業         全1枚
・振墨鼻隠並投曲尺墨仕様  全1枚  以上2点、明治38年4月5日発行届出
・扇棰割計算及図法新案   全1枚  明治38年9月24日発行届出
・工学応用智恵鏡      全4枚  明治40年10月22日発行届出
・文明開化星繰合掛割早算   1組  明治42年11月17日発行届出
規矩的当図解は現代の数学家が見ても非常に勝れたもので、当時これだけのものを書き上げたことを絶讃しているし、星繰合掛割早算は今の計算尺と同じものらしい。

藤原金次郎
78才の藤原金次郎

なお氏の経歴伝は歓喜寺にあり次のようである。 続きを読む 棟梁 藤原金次郎

亮次郎の少年時代

(川路賢一郎著「シエラマドレの熱風」(2003 パコスジャパン)より)
…照井亮次郎は1874(明治7)年6月10日、岩手県稗貫郡東十二丁目村で、父亮蔵、母マスの4人兄弟の第三子、次男として生まれた。兄弟姉妹として、姉・照、兄・敬三、妹・すぐ(寿久)がいる。[彼の生れた]「長根」[部落]は昔から北上川の洪水の被害を受けるところであったため、照井家の家屋は、二階建てであった。この辺りは米栽培を中心とした農業地帯であり、9月になると、稲がたわわに実り黄金の色が回りの風景を染める。また、養蚕のさかんな所でもあった。…

「稗貫郡矢澤村郷土教育資料」によると、少年時代の亮次郎は「幼少既ニ覇気ニ富ミ且活溌ナル個性ヲ有シタリキ」と記されている。
1880(明治13)年、彼は東十二丁目小袋(下等)小学校(明治20年…、高木村の高木尋常小学校と合併、後に島小学校となる)に入学した。… 続きを読む 亮次郎の少年時代

東十二丁目付近の河道移動

(「北上川 第6輯」(S52.3.19 東北地方建設局岩手工事事務所)より)
第一部 北上川流域の自然
第四編 河道変遷
第二章 旧河道と変遷
第二節 各論
五、稗貫地方

北上川河道(一)外台地区
花巻市東郊における北上川は、市街地の北方、同市高木蛇子塚において左支猿ヶ石川を合流し、同地先を南流して朝日橋を過ぎ、右支豊沢川を入れ、更に、同市南郊外台(右岸)東岸に沿うて南下し、その南端附近に至り流向を南東に転じ、左岸同市東十二丁目朴田地先に至り、再び、南流となり北上市更木、市ノ川原を経て、同舟渡地先を西より南に迂廻し、更に、同野沢地先で三度南流に転じ北上市立花方面に南下するところである。 続きを読む 東十二丁目付近の河道移動

亮次郎の父・照井亮蔵

(川路賢一郎著「シエラマドレの熱風」(2003.3.24 パコスジャパン)より)
照井亮蔵亮次郎の父・亮蔵は漢方医であり、矢沢村会議長になるなど、村の名士であった。素封家、いわゆる「金持ち」であったが、社会事業には金は惜しまず使ったという。「医師 照井亮蔵」について次のような記録がある。

「照井亮蔵は弘化元年12月3日、照井良作の長男として矢沢村東十二丁目に生まれた。亮蔵は小さいときから頭の良い子であったらしく、父の良作は平民の子は医者にするのがよいと思い、13才になった安政4年に、和賀郡轟木村に住んでいた高田了碩という漢方医に弟子入りをさせた,
1年10ヵ月間、了碩について医術を学んだ亮蔵は、安政6年3月に花巻村の嶋李蹊について医術を勉強したという。この間4年10ヵ月、計6年8ヵ月間修行した亮蔵が、開業できたのは元治元年の正月、20才のときであった。開業は東十二丁目である。 続きを読む 亮次郎の父・照井亮蔵

北上川概観

このサイトでは北上川の中流域を中心に見ていくつもりですが、まずは北上川の全体像を俯瞰しておきます。

(「北上川 第一輯」(S48.3 東北地方建設局岩手工事事務所)より)
北上川水系図概要
北上川は宮城、岩手両県に跨る東北地方第一の大河川にして、源を岩手県岩手郡岩手町御堂に発し、北上、奥羽両山脈から発する大小幾多の支川を合せ、岩手県を北から南に縦貫し、一関下流の狭窄部を経て宮城県に入り、柳津地先で新旧両川に分流され、新北上川は追波に、旧北上川は石巻港に注ぐ、幹川流路延長 250.587km、流城面積 10,244.68k㎡の大河である。… 続きを読む 北上川概観