「東十二丁目誌」と石崎直治先生

MrIshizaki私が東十二丁目のあれこれを調べるに当ってまず参照するのが「東十二丁目誌」(平成2年刊)、その著者が石崎直治(なおはる)先生です。
先生は私が中学生の頃の矢沢中学校の教頭でした。昭和30年代のことです。先生は社会科と職業科を教えていましたが、私達の学年の担任ではなく、授業も担当していなかったと思います。そのせいもあって学校での先生の印象は薄く、あえて言えば、失礼な言い方ですが、「面白くもおかしくもない先生」という感じだったように思います。 続きを読む 「東十二丁目誌」と石崎直治先生

「東十二丁目」と「島」という地名

(石崎直治著・発行「東十二丁目誌」(H2.2.28)より)

…私達の村里は、或時代には島村と呼ばれ、或時は東十二丁目村と云われて来ているが、どのような由来があるのであろうか、伝承や記録をたどって考えて見たい。

島村 明治9年(1876)に編纂された岩手県管轄地誌によると、「陸中国稗貫郡東拾二丁目村、本村ハ古ヨリ本郡二属シ西拾二丁目ト一村ニテ島村ト称ス、天正(1573~1592)ノ頃本称二改メ分テ東西両村トナル」と書かれている。(注1) 続きを読む 「東十二丁目」と「島」という地名