本誌「第5章 近世」/「第15節 村の検地と租税」の「知行所とその推移」に享保2年(1717)と天保14年(1843)の領主別知行高の一覧が示されている。本節ではその要約と若干の補足を述べる。
(1) 享保2年(1717)の総検地で定められたものか(「花巻市史」より)
・東十二丁目村惣高 767石
・御蔵入高 457石
・知行地高 310石 (領主 11人)
最大の領主は貞林院で200石を領し、次が37石余、最下位は1.3石余。
・貞林院は名を妙(はじめ千代)といい、南部盛岡藩6代藩主・利幹の側室、8代藩主・利雄の生母、安永4年(1775)没
(2) 天保14年(1843)の御検地帳によると
・総高 977石
・御蔵入高 498石
・知行地高 477石 (領主 13人)
最大の領主は戸沢駿河で305石余を領し、次が44石余、最下位は0.08石余(更木村入高)
・その他(御免地等) 2石弱
・戸沢駿河は当時藩の家老で禄高1,000石(天保8年に400石加増された)
(2021.9記)