takaki_history

「東十二丁目誌」註解覚書(4) -類書「高木村の歴史」-

「東十二丁目誌」はA5判、390頁、ハードカバーの本格的学術書といった趣の労作です。世に郷土史、地域史の書籍はあまたあると思いますが、その多くは市町村等の公共団体かその関連組織によって刊行されたもので、本書のように全くの個人がこのような著書を出版するのは珍しいのではないでしょうか。
…と思っていたのですが、空間的にも時間的にもごく近いところに貴重な類書がありました。それが佐藤昭孝著「高木(たかき)村の歴史」(S62.4.30発行、A5判301ページ)です。「東十二丁目誌」が発行されたのは平成2年2月、3年後のことでした。

高木村は現在の花巻市高木、東十二丁目の北隣に位置し、東十二丁目村と同様に明治22年(1889)町村制施行により、他の3村と共に矢沢村となり、昭和29年(1954)には他の5町村と合併して花巻市になりました。

本書の「あとがき」で著者・佐藤昭孝氏(注1)は次のように述べています。

私が故郷高木を離れてから30年近くなり、また、60に手がとどく齢になってしまった。年を重ねれば重ねるほど故郷がなつかしく思われてくるものである。特に、私は昭和20年から8ヵ年も村人と直かに交わりながら農業に専念していたことや、30歳まで高木に住み、多くの先輩や友人や後輩をもっていたからであるかも知れない。
私が高木村の歴史を調べてみようと思ったきっかけは、昭和48年7月19日、花巻市役所職員から花巻市教育委員会事務局に出向を命ぜられ、社会教育と併せて文化財の職務を行なうことになったことにはじまる。それまでは、郷土史等というものには全く縁が無かったが、ここで旧友の今は亡き熊谷章一先生から「この機会に自分の生まれた村の古い資料を集めて調べたらどうか」と奨められたことにある。何から調査に入ったらよいか分らなかったが、手あたり次第高木村に関係ある資料を書き写したことが懐しく浮んでくる。
幸い、私の生家は藩制時代の嘉永年間に肝入をした父祖がいたり、明治時代初期には戸長役場になっていたこともあり、若干の古い資料が残されていたので、まるで家捜しの様に古文書を探したが、しかし、残されているものは定納の皆済書とか永代相渡手形等、価値の低いものばかり多く、一つの資料集にまとめるなどということはさらさら思いの及ぶものではなかった。
しかし、幸運というものが待っていた。それは一族である古館家、又右ェ門家をはじめ、旧家の新川家、仁八家、小舟渡佐藤家等から次々に価値の高い古文書が発見されたことである。特に、一冊の本にまとめようと決意させたものは、又右ェ門家所蔵の「高木村年代記」と、私達の父祖が文久年間に調べた出雲系佐藤家の「元祖過去帳」であった。
私は幼少にして父を亡くしたこともあり、終戦直後の混乱期には亡父の残したそこばくの田畑を守るため、勤務の関係で不在の兄に代って専業の農業を行なっているが、20歳そこそこの私はこの時、村の人々から多くものを教わり、また、導かれるなど大きな世話をいただいている。これらの恩に報いなければならないと長い間心にいい聞かせてきたが、私の出来るものとひそかに選んだのがこの「高木村の歴史」を記述することであった。
この一冊の本を刊行するのに要した月日は、資料をあつめ始めてから数えて15年間にわたっている。この間、沢山の先輩、同僚、友人に多くの資料を教わりながら、できうるだけ資料に基づいて何年にもわたって少しずつ記述してきたものである。従って、文面とか単位、数字の使い方等一貫性に欠けた部分もあり、また、資料集収も十分でない分野も多くあろうし、思い違いもあるかも知れない。しかし、高木村を築きあげてきた私達の父祖の業績と、血のにじむ様な生活を行なってきた村人の生の一片でも知っていただければ幸いと思っている。
おわりに、この「高木村の歴史」を刊行するにあたり、資料を提供してくださった古舘家、又右ェ門家、仁八家、善助家、理惣治家、伊太郎家、新川家、小舟渡佐藤家、東十二丁目の大木家、孫左ェ門家、威徳院、佐藤家等にたいし、心から感謝を申しあげるとともに、…色々と御指導をいただいた古川正見、石崎直治、…の諸氏をはじめ、多くの先輩、友人に深甚なるお礼を申しあげる次第である。

本書の構成は次のようなものですが、詳しい目次はこちらをご覧下さい。

高木の名称
高木村の伝承
先史時代の高木村
開拓時代と高木村
安倍氏時代と高木村
稗貫氏時代と高木村
南部藩政時代前期と高木村
南部藩政時代後期と高木村
高木村の近代
参考(矢沢村・花巻市時代の主要事業)
高木村の文化財
高木村を築いた人々
付録(年表)
あとがき

なお「東十二丁目誌」の目次がこちらにあります。

「あとがき」の謝辞の中に石崎先生が挙げられていますが、一方「東十二丁目誌」の「あとがき」では佐藤昭孝氏に対する謝辞が記されています。
お二人の間柄はどのようなものだったのでしょうか? 邯鄲(かんたん)相照らす同好の士か、それとも競う合うライバルか? …こんなTVコマーシャルがありました…「ドッチモ~~!!」

[補足]
(1) 佐藤昭孝:昭和3年3月1日、岩手県稗貫郡矢沢村高木第22地割字上台18番地に生る。20年3月旧制県立花巻中学校を卒業後、家業の農業に従事。28年矢沢村役場に勤務、29年市制施行とともに花巻市職員となる。秘書課、庶務課、総務課、財政課の主事を経て庶務課文書広報係長、秘書企画課企画係長を歴任。48年花巻市教育委員会社会教育課に出向。50年4月社会教育課長兼初代の文化会館館長。54年社会教育課長。58年社会教育課長兼花巻市歴史民俗資料館館長。61年3月退職。現在(昭和62年)花巻市社会教育指導員。現住所北上市鬼柳町。
氏には他に「高木・田向家の家譜」、「花巻の文化を高めた先人・百七十人」、「北上の野に」等の著作があります。

(2016.4.30掲)

“「東十二丁目誌」註解覚書(4) -類書「高木村の歴史」-” への2件のフィードバック

  1. はじめまして。
    私は高橋と申します。本家は高木で、高木村を作ったと聞いております。
    父が「高木村の歴史」を拝読したいとのことで、代わりにご連絡させて頂きました。
    「高木村の歴史」を購買できるところ、または置いてある図書館など教えて頂けないでしょうか?
    不躾なお願いになりますが、よろしくお願いいたします。

    1. (1) 市販された本ではないと思いますし、大分前に刊行されたものですから、書店等には出ていないと思います。ネットオークションに出ることはあるかもしれません。
      (2) 国立国会図書館には有ります。
      岩手県内の図書館では、花巻市立図書館をはじめ数館で所蔵しているようです。詳しくはこちらで検索してみて下さい。
      http://www.library.pref.iwate.jp/iliswing/network/page/We_kensaku/oudan_index.html

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です