なめとこ山からデルス・ウザーラを想う

「なめとこ山」は私が20年以上通う蕎麦屋の店名です。帰省するたびに一度は出かけ、野菜天ざるを肴に焼酎のロックを飲むのを楽しみにしてきました。もっとも最近になって「車で来たでしょう!」とか言われて、飲ませてもらえないこともありますが。
この店は宮沢賢治記念館の登り口にあるので、「なめとこ山」という店名は賢治に何か関係があるのだろうと思っていましたが、あまり気にせずに過ごしてきました。

そば処「なめとこ山」


今年の春になってこのブログに「私にとっての宮沢賢治」と題する記事を書いたのですが、その時に「なめとこ山」についても調べてみると…
賢治の作品の中に「なめとこ山の熊」という童話がありました。

その粗筋は、山の中に年老いた母や孫達(?)7人と一緒に暮らす老猟師がいた。この猟師は熊の言葉や気持ちが分かるほどになっていたが、生活のためには熊を殺さなければならない。しかも熊の皮と胆(い)を町に売りに行くのだが、商人に安く買いたたかれてしまう。このような暮らしを続けていた猟師は最後には熊に殺されてしまう。そして多くの熊たちが集まって彼の死を悼んだ。という切ない物語です。

賢治はこの物語で何が言いたかったのか、何を伝えようとしたのか、が気になり… Wikipediaを検索してみると「なめとこ山の熊」の解説の中にこんなことが書いてありました。《賢治が職業猟師をどう見つめていたかが書き綴られ、資本主義経済における搾取性にも言及した点でも貴重な作品である。》

「資本主義経済における搾取性」??!! しかしこのようなことは資本主義に限らず、共産主義でも、封建主義でも起こり得ることでしょうから、私にはむしろ「反文明」ではないかと思えたのです。ところがこの物語の中に《こんないやなずるいやつらは世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなっていく。》というくだりがあり、賢治は「進歩」を肯定的に捉えていたようです。「進歩」=「文明化」とは言えないでしょうが、この物語を文明批判と見るのは的はずれか!?

…などとあれこれ思い巡らすうちに、頭に浮かんだのが「デルス・ウザーラ」。

デルス・ウザーラ
(右クリックで拡大表示できます)

「デルス・ウザーラ」
は黒沢明が監督したソ連映画のタイトルで(1975年公開)、その主人公の名前でもあります。
私がこの映画を知ったのは全くの偶然からでした。10年以上前のことだったと思いますが、真夜中に目が覚めて寝付かれなくなり、テレビをつけたらやっていたのがこの映画でした。

当時中央アジアに興味を持っていた私は、テュルク系だけでなく、その北方に住む民族にも関心が拡がり、ジュンガル、モンゴル、満州そしてシベリア方面の民族についても調べ始めている頃でした。デルス・ウザーラ(注1)はツングース系ナナイ人の老猟師です。

この映画(DVD)について、「Amazonレビュー」から引用します。
《20世紀の初頭に、シベリアと中国・東北地方の国境地帯の地図を作成した帝政ロシア時代の探検家アルセーニエフ(注1)と、その際に彼のガイドを務めた老猟師デルス・ウザーラ。ふたりの終生変わることなかった厚い友情の育みを、広大なシベリアの大地を背景に描いたロシア(当時はソ連)映画超大作。
黒澤明監督にとっては初の海外映画演出となったが、… 男同士の友情の美しさを、ここまで素直にストレートに描いた黒澤映画は、他に例がない…》

この解説では「男の友情」が強調されていますが、私には「文明に毒されない男の観察力、洞察力そして超(?)人間性の素晴らしさと非業の最期」が印象に残り、「文明批判」の物語のように感じました。
なめとこ山の猟師・小十郎は熊の言うことが分かりましたが、タイガの猟師・デルスは虎に話しかけます。

この映画の原作というか底本はアルセニエフ自身が著した「ウスリー紀行」と「デルス・ウザーラ」の2作品とのことです。当然のことながら、映画と原作には相当の違いがあるでしょうし、また原作の内容自体が事実そのものなのか?も気になりました。

岡本武司(後述)は次のように書いています。
《3人のデルスー、アルセニエフがいる。第一にアルセニエフ自身が書いた「ウスリー紀行」と「デルス・ウザラー」という物語の人物だ。第二は黒澤明監督が映画「デルス・ウザーラ」で映像化した二人だ。彼を知る日本人のほとんどは、この中の探検隊長と道案内をもって彼らの実像と理解しているだろう。第三はアルセニエフの探検日誌の中に留められた「記録の中の二人」だ。
三人は基本的には同じだが、細部では著しく相違し、時に相容れない。》

この物語の舞台はかつて沿海州と呼ばれた極東ロシアの東南端。ハバロフスクの東、ウラジオストクの北に位置し、日本海に面しています。日本からの距離は稚内からわずか300km弱。
時代は20世紀初頭。日露戦争後、ロシア革命へと向かう激動前夜の時代です。

私はテレビで映画を見た後に、この二人についてもっと知りたくなり、アルセニエフの書いた「デルス・ウザラ」を読んでみました。もちろん翻訳ですが。
そして印象深かったのが、デルスの含蓄に富む言動と二人のしみじみとした交流はもちろんですが、彼らが行動したタイガやその周辺の自然描写です。アルセニエフが言う「行軍」の途中で出会う動物、植物そして気候のことなどが事細かに丁寧に記されています。これを読みながら自分をタイガの山中に置いてみるのも楽しい…

これは翻訳の巧みさに依るものかもしれません。(しかし読む時の気分によっては冗長で煩わしく思うことも) 翻訳は何種類かあるようですが、私が読んだのは安岡治子訳の「デルス・ウザラ」、抄訳とのことです。
巻末に羽仁 進が「孤独は男の美しさ」と題した解説を書いています。訳者は安岡章太郎の娘とか、懐かしい名前です。

「デルス・ウザラ」を読んで、アルセニエフのことを更に知りたくなりました。
デルスのすばらしさを見出し得たのはアルセニエフなればのこと、他の人にはできないことだったと思うのです。この白人のロシア軍将校は何者なのか?どのように生き、そして死んだのか?
探してみて恰好の一冊を見付けました。岡本武司著「おれ にんげんたち ―デルスー・ウザラーはどこに」。本書に依れば:-

晩年のアルセニエフ

ウラジミール・K・アルセニエフ
1872年、ペテルブルクの鉄道官吏の家に生れた。父は農奴の出身で、独学で官に職を得た。アルセニエフは少年の頃、探検記や冒険小説を愛読。陸軍士官学校に入学。工兵隊で研修を受け、この体験が後の地形測量や遺跡発掘に役立った。
1900年(28才)、中尉に昇進し、希望してウラジオストクの要塞に転勤。
1902年、猟師を集めた部隊の指揮官に任命される。日ロ関係が緊迫しおり、軍事防衛の見地から地形を調査するのが任務。
1906年春、沿海州中部の山岳地帯と日本海沿岸を探検。デルスと出会い、探検隊の道案内人とする。当時の任地はハバロフスク。
1907年、沿海州中部を探検。デルスと再会。
1908年(36才)、家族のいるハバロフスクに戻る。視力が弱り狩りができなくなったデルスを伴う。
 デルスは都会暮しに馴染めず、数ヶ月後故郷の山に戻る途中強盗に襲われ落命。
1910年から1918年まで、ハバロフスク博物館長を勤める。
 この間、皇帝ニコライ2世から指輪を賜る。(当時陸軍中佐)
その後、ロシア革命の嵐の中を何とか生き延び、
1926年、日本を調査旅行。3週間の訪日で、歌舞伎座も訪れた。
1930年(58才)、鉄道建設の調査部門責任者となる。
 同年9月、肺炎のためウラジオストクの自宅で死去。
1938年、後妻マルガリータが反革命容疑で処刑(銃殺)される。


岡本武司著「おれ にんげんたち ―デルスー・ウザラーはどこに」
   (2004年7月25日 ナカニシヤ出版発行)
この著者にも興味をひかれました。
著書の巻末に記された略歴に次のようにあります。

  1935年 京都市生れ。
  2000年 朝日新聞社退社。
  2000年9月~2001年5月 ハバロフスクの大学で日本語教師を勤めながらロシア語を勉強。
  2001年10月 ウラジボストク大学へ留学。ロシア語を学習しながら、沿海州地方の先住民を研究。
  2002年5月 体調を崩し帰国、入院。
  2002年7月 死亡(急性がん)。

私は氏についてこの著作に書かれていること以外は何も知りません。
あまりに急な死だったとは思いますが、馬齢を重ねて来月80才になる私としては、ある種の羨ましさを感じてしまいます。
在職中からロシアに詳しい人であったとは思うのですが、65才で新聞社を退職後、ロシア沿海州に渡り、大学でロシア語を勉強し先住民を研究する。
そしてデルスとアルセニエフをとことん追っかける…
急逝したのは本当に残念ですが、最後は妻に口述筆記してもらい、残した原稿はかつての同僚たちが出版してくれた。   いいなあ!!!

(右クリックで拡大表示できます)

[補足]
(注1) 人名、地名の表記:外国の人名、地名をカタカナで記す場合、様々に綴られる。例えば、「デルス・ウザーラ」は「デルス・ウザラ」、「デルスー・ウザラー」など。本稿では私が書いた文中では私の馴染んだ綴り、引用文では引用元の綴りそのままで記した。

(2021.5.14掲)

「なめとこ山からデルス・ウザーラを想う」への2件のフィードバック

  1. 「武田鉄矢の今朝の三枚おろし」で耳にした話を思い出しました。

    ・2019年08月30日(金)「山彦の子ら」その10『マタギ奇談』工藤隆雄『マタギ聞き書き』武藤鉄城
    http://blog.livedoor.jp/ken2bjijikai-idoling/archives/30164579.html

    その1には、「なめとこ山」が登場します。

    田中英道さんの動画「日本から見たサピエンス全史#2」に登場する
    「日高見国」を検索したところ、御ブログの「異説「日高見国」拾い読み」にたどりつきました。

    1. コメントを頂き有難うございます。
      このブログの今年のアクセス統計を見ると、〈北上川 -日高見(ひたかみ)とは何か-〉と〈異説「日高見国」拾い読み〉が1位と2位で、3位以下を大きく引き離しています。何故なのか私にとっては不思議です。

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