昨年「東十二丁目誌補解」を出版したのですが、印刷所から届いた「補解」を手に取った時の第一印象は、「軽い!」、「何か物足りない!」でした。A5版 318ページの本なのですが、もっとページ数が欲しいような… 内容ももっと入れるべきものがあったのではないか…
私が通った島小学校では同級生が44名。存命の同級生30名に「補解」を贈ったのですが、郵送した後で、同級生に興味がありそうなことをもっと載せておけば良かったと思ったり…
同級生のためだけではありません。私たちが小学校に入学したのは昭和23年(1948)、終戦後間もなくの事で、新制小学校が発足した年です。終戦直後の東十二丁目や島小学校の様子を記録に残しておくことも意味あることではないか。
また「補解」では[補足]の中などでURLを紹介しただけのコンテンツが結構あります。しかしネット上のコンテンツは何時消えてしまうか分かりませんので、これらコンテンツ自体の要所だけでも収録しておきたい。
こんな思いで、「補解」の続編として「東十二丁目誌補解の補」を纏めてみる気になりました。
「補解」は、「東十二丁目誌註解覚書」として2016年1月に書き始めてから出版までに6年余を要しました、「補解の補」はできれば今年中、遅くとも来年中には完成のつもりでいます。もっとも「予定は未定」、どうなりますか?差し当たりこのブログに「新・東十二丁目誌覚書」として草稿を順次投稿するつもりです。
「補解の補」のメインテーマの一つが「島小学校」です。幸いなことに昭和48年に島区民会が発行した「島小学校100年史」が手元にありますので、本書を軸に自分の記憶を辿りながら昭和20年代の小学校生活を描いてみるつもりです。
小学校でまず思い出されるのは、「昼寝」と「給食」ですが…「田植休み」(農繫休暇?)もありました。
昭和20年代は「敗戦後」という稀有な時代だったわけですが、東十二丁目に関する当時の資料はあまり残っていないようです。
当時と現在を比較して、思い付くまま列記してみると…
・当時も現在もあるもの:
お寺、神社、発電所
・当時あって、現在ないもの:
小学校、駐在所、医院、酒屋、醤油屋、魚屋、精米所、駄菓子屋、桶屋、製材所、路線バス、オート三輪、牛馬
・当時なくて、現在あるもの:
こども園(保育園)、上下水道、工業団地、高圧送電線、自動販売機、四輪自動車
行事もいろいろ変ってしまいました。
・正月は、当時は旧正月が主でしたが、いまは新暦のみ。
・「小正月」なんてのもありましたが、今は?
・結婚式とか葬式は自宅で挙げるのが普通だったが、今では「外部化」というか「商業化」されて久しい。
・和尚さんの寒行巡り、祭り、神楽、田植踊り…
いろいろ懐かしく思い出されるのですが、資料が乏しい上に、私が東十二丁目を離れたのは60年以上も前の事、どうやったら情報を収集できるものやら…
今も当地に残って元気にしている同級生を訪ね歩いて、根ほり葉ほり聞き出してみようかと思ったりしています。彼等の記憶も当てにならないかもしれませんが。
[補足]
・冒頭の写真は今年の2月にドローンで撮影された東十二丁目の展望です。
3月に開かれた島区民会総会の席上で「補解」出版に対して感謝状を頂戴したのですが、その時の記念品の「写真」の縮小版です。
(2023.4.掲)