明治末に花巻からメキシコに渡った女教師

その小学校教師の名は中西良(りょう)
明治18年(1885)、和賀郡十二鏑(じゅうにかぶら)村(現在の花巻市東和町土沢)に生れ、師範学校を卒業して小学校教師をしていたが、何故か明治44年(1911)26歳の時にメキシコに渡りアウロラ小学校の教師となった。
アウロラ小学校は、榎本武揚の殖民構想に共鳴してメキシコに移住し、大活躍した照井亮次郎(注1)(花巻市東十二丁目出身)が設立した学校です。 続きを読む 明治末に花巻からメキシコに渡った女教師

照井氏と薬師館

(中村良幸著「中世城館調査報告一」(H28.3 花巻市文化財調査報告書第10集所収)より)

これまでに東十二丁目の照井氏と薬師館については何度か取上げてきました(注1)が、結局のところ「私にとって、「照井」は中世の東十二丁目、最大の謎です!!」ということで終っていました。ところが最近になって中村良幸氏(現・花巻市総合文化財センター所長)の「中世城館調査報告一」に私の疑問に応える見解が示されていることを知りましたので、ご紹介します。

  一、花巻市東十二丁目「薬師館続きを読む 照井氏と薬師館

「東十二丁目誌」註解覚書:北上川新川に苦しむ

本誌「第5章 近世」の「第9節 洪水の苦難」と「第14節 村境論」では「新川文書」(注1)がしばしば引用されています。本稿では「新川文書」の中の「普請願帳」から洪水後の普請願上2件を書き下し文(注2)で紹介します。 続きを読む 「東十二丁目誌」註解覚書:北上川新川に苦しむ

「矢沢郷土誌」が出版されました

「矢沢郷土誌」(A4版、357ページ)が平成29年12月1日付で出版されました。発行元は「矢沢観光開発協議会 / 矢沢地域振興会」と記されています。
入手方法、価格などをお知りになりたい方は矢沢振興センター(TEL/FAX 0198-29-5480)にお問い合わせ下さい。

岩手県花巻市矢沢地区は、花巻市の東西中央部南端に位置し、西側を北上川に接しています。新幹線新花巻駅、宮沢賢治記念館の所在地でもあります。 続きを読む 「矢沢郷土誌」が出版されました

「東十二丁目誌」註解覚書:新川普請と洪水の苦難

本稿では、本誌「第5章 近世」の「第8節 東十二丁目と新川普請」と「第9節 洪水の苦難」について、「新川」と「助合」に注目して考察する。

第8節 新川普請、第9節 洪水の苦難 (クリックして、全体をダウンロードできます)
第8節 新川普請、第9節 洪水の苦難
(クリックして、全体をダウンロードできます)

(1) 「第8節 東十二丁目と新川普請」と「第9節 洪水の苦難」の要点
 1) 奥州街道下欠込む
 ・花巻において新川というと、北上川の流れが花巻城本丸に突き当り崩れるため、正保(1644-1648)年中変流工事をはかったが水流れず、貞享(1684-1688)年中に至り第3回目の工事で小舟渡八幡社東へ流路の変更がなされ、漸く完成したことを指す。
・東十二丁目の新川はこれとは全く別のものである。参勤交代の行列が往来した松並木の街道(旧国道)では、北上川の流路が逐年西に転移したため、この街道下が欠込み、道路が西方に変曲した。この街道下の欠込みを止めるために新川が設けられたのである。 続きを読む 「東十二丁目誌」註解覚書:新川普請と洪水の苦難

「東十二丁目誌」註解覚書:幕末の開田計画 -楢山堰-

楢山佐渡
楢山佐渡

本誌「第5章 近世」の「第12節 百姓騒動」に「高木外二ヶ村の開田計画」と題する項がある。これは幕末に計画され、農民の反対で未完成に終わった楢山堰の建設について、主に「百姓騒動」の観点から記されたものである。
本稿では開田を計画した側の観点から考察してみたい。
続きを読む 「東十二丁目誌」註解覚書:幕末の開田計画 -楢山堰-