(島区民会編・発行「島小百年史」(S48.11.3)より)
このたび島小学校百年誌の編集特に草創時代明治初期の編集にたずさわってみて、わが郷土島部落の初期における子弟教育のため長い間物心両面から多大な尽力をなされた古川宗家(屋号「孫左エ門殿」)の南米移住、及びその後の動向を追録してみるのも意義のあることであり、また編集者たる私(押切省三)の責任だと思い聞き得た範囲で書き残します。
近郊で名だたる名家であり、富豪であって、私塾時代に尽くされた忠栄氏が、私塾を開いたのはまことに先見の明があった方で、続いて小袋小学校時代に教鞭を取られた茂兵衛氏、その長男の忠直氏と次第に時代の風波に抗しきれず、大正末期に忠直氏が弟と共に南米移住することになったのです。それはもちろん生活に困ってという事ではなくて、古川家の血をひく雄図、気慨が根底になっていたのに加えて、弟永助氏の勧誘が最大の原因だったといわれています。 続きを読む もうひとつの南米移民