ここ半年ばかり照井亮次郎についてあれこれ調べています。
ことの発端は盛岡に住む旧友S君からのメールでした。
「こんにちは! 照井亮次郎の生家 北上川の東岸、花巻市長根とあるけど、どの辺かな? 昭和59年3月16日母屋一棟消失したようです。」
そして私の返事
「長根の高島道路ぞいに金比羅神社があり、その南側の空き地が焼けた家のあったところです。そこにはかつて秀(しゅう)さんという女性が一人で住んでいましたが、火事のあと失意の中で亡くなったようです。
私の記憶に残っているのは、彼女の家には猿がいて、ちょっと変った家だったということ。子供の頃猿を見るためだったのか、時々遊びに行ってました。
母に電話で聞いたところでは:
秀さんはメキシコに行った人(亮次郎?)の娘か姪。台湾で教師をしていたが、戦後帰郷。その時猿や珍しい動物を持ち帰ったらしい。お花の先生などをして一人で暮らしていた。一生独身。…
最近つくづく思うのですが、身近に色々な人がいたのに、何も知らずに年を重ねてしまいました。若い頃に知っていれば、感化されるところがあったかも知れないのに。知る機会のなかったのが残念!!!」
彼のメールを読んだ段階では照井亮次郎について全然覚えがなかったのですが、手元にある「東十二丁目誌」を見ると、載っていました。「拓殖家 照井亮次郎」と題した8行の紹介記事が!!!