「あづま海道」に惑う

(本稿は「タウンやさわ 第37号」(R3.2 矢沢観光開発協議会発行)に寄稿した原稿に若干の変更を加えたものです。)

あづま海道とは何か
「アズマカイドウ」という道がはるか昔に北上山地の西麓、東十二丁目の東側を通っていたということを、初めて聞いたのは6年前のことでした。
矢沢観光開発協議会の今は亡き佐藤建さんのお話では:-
・古代・中世の頃、北上山地の西麓を南北に縦貫する幹線道路があり、「アズマカイドウ」と呼ばれたが、後に廃れた。
・近年この古道の再発見が試みられており、北上市や奥州市ではルートの確定、道標の設置などが完了している。
・矢沢地区ではこれまで特別の取組みはなかったが、観光開発協議会の事業としてこれから取組もうとしている。

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「あづま海道」を読む

「アズマカイドウ」のことを初めて聞いたのは5年以上前のこと。
古代・中世の頃、平泉から紫波東部まで「あづま海道」という道が通じており、矢沢地区を縦断していた、ということだった。
その後しばらくは「あづま海道」のことをあれこれ調べていたのだが、何時しか関心も薄れ、ほとんど気にすることも無くなっていた。ところが今年に入って、矢沢地区のコミュニティ誌に「あづま海道」について寄稿することになり、また「あづま海道」について調べ直してみたのだが… 結局のところ矢沢地区については全くの暗中模索!?

本稿では私がこれまでに目を通した文献類を紹介する。

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あづま海道・再々考

「あづま海道」については、5年前に「あづま海道とは何か」と「あづま海道・再考」と題して2回取上げました。今回はその後得た知見も加えて改めて「あづま海道」について考えてみます。

1. あづま海道とは
あづま海道は平泉から紫波東部まで、主に北上山地西麓を通っていた古代・中世前期の道で、近世には既に廃れてしまっていた、とされる古道です。
この古道の探索と選定が10年以上前から試みられ、奥州市と北上市内のルートが選定されています (奥州市内の約9kmは「東北自然歩道 新・奥の細道」の「東街道を訪ねるみち」として認定・整備された)。また花巻市と紫波町でもルート選定の動きがあるようです。

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東十二丁目の今:島バイパス開通

島バイパス26日開通 花巻北上線 幅員広げ歩道新設
   (岩手日日新聞Iwanichi Online (2020.3.23)より)
県が花巻市高木、東十二丁目地内で整備を進めている主要地方道花巻北上線「島バイパス」の延長2.98キロ区間は、26日午後2時に開通する。
幅員の狭い区間の解消と歩道を新設することで、安全で円滑な交通の確保が期待されている。

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あづま海道・再考

(阿部和夫著「『あずまかいどう・あづま海道・東海道』を探る」(H22.6.26/6.28/6.30/7.3/7.17 胆江日日新聞)(注1)より)

(1) 古代の官道
古代における官道、すなわち律令時代の官道、今で言う国道としては、東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の七道が挙げられる。
官道の特徴の一つは、30里(約16キロ)ごとに駅家(うまや)が置かれたことである。駅家には駅長や駅子(えきし)が配置され、人と物の輸送にあたっていた。
みちのくの「東山道」は、白河から東北の内陸を北上し、多賀城に達している。このあと北上川の西岸を北に向かい、現在の岩手県内に入っている。岩手県内の駅家は、南から北に磐井・白鳥・胆沢・盤基(ばんき)と並んでいる。 続きを読む あづま海道・再考

あづま海道とは何か

「アズマカイドウ」という道がはるか昔に北上山地の西麓、東十二丁目の東側を通っていたということを、初めて聞いたのは去年の夏のことでした。
矢沢観光開発協議会の今は亡きS氏のお話では:-
・古代・中世の頃、北上山地の西麓を南北に縦貫する幹線道路があり、「アズマカイドウ」と呼ばれたが、後に廃れた。
・近年この古道の再発見が試みられており、北上市や奥州市ではルートの確定、道標の設置などが完了している。
・矢沢ではこれまで特別の取組はなかったが、観光開発協議会の事業としてこれから取組もうとしている。 続きを読む あづま海道とは何か