「東十二丁目誌」補解 (Web版) 目 次 0 「東十二丁目誌」と石崎直治先生-はしがきに代えて- 1 東十二丁目の地名 2 原始時代 2.1 東十二丁目と周辺の遺跡 2.2 東十二丁目と周辺の遺跡 補遺 3 古 代 3.1 満海坊 4 中世 4.1 中世の稗貫郡と稗貫氏 5 近世 5. 1 近世稗貫・和賀10通略図 5. 2 通・とおり -近世の稗貫・和賀郡- 5. 3 三ヶ村用水堰 -仁兵衛堰- 5. 4 幕末の開田計画 -楢山堰- 5. 5 新川普請と洪水の苦難 5. 6 北上川新川に苦しむ 5. 7 宝暦の大飢饉 5. 8 土蔵改め 5. 9 百姓一揆 5.10 稗貫郡外台村 5.11 天保検地 5.12 知行所補遺 5.13 検見の実際 5.14 社寺アルバム 5.15 近世東十二丁目村の基本データ 6 むらの民俗 6.1 昭和10年代(1935-)の暮らし 6.2 伊勢無尽講と伊勢参宮 6.3 石碑アルバム 7 近代 7.1 平民氏称 7.2 明治の島小学校 7.3 両から円へ 7.4 山は誰のものだったか? 7.5 なぜ「矢沢村」だったのか? 7.6 東十二丁目の大東亜戦争 7.7 「島郷土史」の目指したもの 8 産業の発達 9 現代 (戦後) 9.1 県道島バイパス開通 9.2 高圧送電線路 北上東線 10 郷土の先人 付1 写真資料アルバム 付2 類書「高木村の歴史」 (2021.11.4)