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(海音寺潮五郎著「平将門(上)」(S42.5.30 新潮文庫 か-6-1)より)
北上メノコ
陸奥に鎮守府がおかれたのは、奈良朝の神亀(じんぎ)・天平(てんぴょう)の頃であった。この時代、この地方は蝦夷の天地で、日本民族の完全な領土ではなかった。鎮守府は、この辺境地帯の総督府と前進基地とを兼ね設けられたのであった。
はじめ今の宮城県塩釜市の近くの多賀城に設けられたが、平安朝になって、胆沢に移された。今の岩手県水沢市佐倉河町がその故地であるという。
神亀・天平の頃から、この時まで七十年の間に、約二十五里だけ前進基地が進んだわけである。
その後、この小説の時代よりずっと後、奥州藤原氏がおこって鎮守府将軍となり、平泉にうつすまで、鎮守府はここにあった。
胆沢の鎮守府は、今胆沢八幡のある場所にあったという。北に胆沢川があり、東に北上川があって、その合流点に位置する形勝の地である。
下総の豊田からここまで百三四十里、二十日ほどもかかって、小次郎(将門)はついた。坂東ではまだ暑いさかりであったが、ここはもう深い秋であった。 続きを読む 平将門 -将門は北上川を見たか-