「東十二丁目誌」註解覚書:明治の島小学校

(島区民会編「島小百年史」(S48.11.3 同会発行)より)

1. 小袋小学校の前身
2. 小袋小学校時代
3. 小袋小学校を島小学校と改称す
4. 高木小学校と合併
5. 仮校舎時代
6. 島小学校独立校舎誕生
7. 再度仮校舎へ移転
8. 独立校舎再建 (4年制教育時代)
9. 義務教育6年制になる
10. 代用教員 古川一郎の追憶
11. 模範生 大木チヨノの回想
12. 卒業生数 (明治27年度以降、男女別)

1. 小袋小学校の前身
島小学校の沿革、特に草創期を知るには、まず古川忠栄(孫左衛門)氏の事蹟、特に永年にわたって私塾(寺小屋)を開いて地方の子弟に対する教育に尽くしたことを挙げなければならないと思う。縁筋に当たる古川一郎氏の保存している貴重な記録により、次のような略歴を知ることができる。 続きを読む 「東十二丁目誌」註解覚書:明治の島小学校

「東十二丁目誌」註解覚書:社寺アルバム

本稿も前回同様に石崎先生が残された写真のアルバムです。
なお各社寺の祭神、本尊、由緒等は「東十二丁目誌」(注1)の「第5章 近世」 / 「第16節 社寺の中興」にあります。

写真 (右クリックで拡大表示できます)

(連番)社寺名
所在地等

熊野神社
  旧・村社(明治3年認定)
  中道、農免道路から北に少し入る
(1)熊野神社拝殿

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「東十二丁目誌」註解覚書:石碑アルバム

「東十二丁目誌」の著者・石崎直治先生が、東十二丁目の石碑を調査された際に撮影された写真のアルバムです。撮影時期は明記されていませんが、昭和60年前後(1980年代)と思われます。

写真
(右クリックで拡大表示できます。)

(連番) 碑名 (寸法 cm)
  建立時期 所在地

熊野神社境内
(1)松尾二柱大神 (238×90)
   明治26年(1893)4月8日
(2)稲荷大神 (50×45)
(3)馬頭観世音

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「東十二丁目誌」註解覚書: 両から円へ

明治4年(1871)5月に新貨条例が公布され、円・銭・厘を単位とする新貨幣制度が発足しました。しかしこの新制度が東十二丁目にどのように浸透していったのか、本誌(1)に特段の記述はありません。
幸い「花北の歴史を学ぶ」(2)という冊子に「貨幣の変化」と題する一文があり、ここいらへんの事情が書かれていましたので、以下に転載します。

この中に《島(東十二丁目)の附近では明治15年(1882)から円・銭・厘が使われていた》とありますが、疑問が残ります。文末の注記をご覧下さい。 続きを読む 「東十二丁目誌」註解覚書: 両から円へ

「東十二丁目誌」註解覚書:昭和10年代(1935-)の暮らし

「東十二丁目誌」(注1)の「第6章 むらの民俗」では、概ね近世後期から近代まで(太平洋戦争終戦まで)の東十二丁目の暮らしについて、民家、食生活、衣生活、婚礼と葬儀、年中行事、民間信仰の6節に分けて解説しています。
本稿ではこれを補完するものとして、昭和16年に編纂された「島郷土史」(注2)から「風俗」の章全体と「宗教」の章の抜粋を転載します。

《  風俗         昭和16年5月1日  佐藤末吉 撰録

総説
東十二丁目、全戸数234戸にして人口1,342人、内男647人・女695人なり。発電所(注3)を除く外は悉(ことご)く農兼業にして、貧富の差少なく生活難を感ずるもの少なし。 続きを読む 「東十二丁目誌」註解覚書:昭和10年代(1935-)の暮らし

「東十二丁目誌」註解覚書:伊勢無尽講と伊勢参宮

「東十二丁目誌」の「第6章 村の民俗」/「第6節 民間信仰」の中で、「講」について述べられている。近世から近代そして現代まで続いた宗教上の講、8講について解説されているが、その一つが「伊勢講」である。

伊勢講(十六日講)  皇室の氏神である伊勢神宮に参拝するもので、神明社(注1)の講中では享保20年(1735)に伊勢無尽を開き、元文元年(1736)から2名づつの代参を行っており、大木家には詳細な道中記が残っている。》

しかし、石崎先生が作成した「東十二丁目古文書目録」には大木家文書として543件の文書が記されているが、その中に「道中記」に類する名称の文書は見当たらない。「伊勢無尽帳」などの伊勢無尽講関係の文書は多く載っているのだが…。 続きを読む 「東十二丁目誌」註解覚書:伊勢無尽講と伊勢参宮