「東十二丁目誌」註解覚書:現代概観

石崎直治著「東十二丁目誌」(H2.2.28 同人発行)の最後の2章である「第9章 現代(戦後)」と「第10章 郷土の先人」を概観する。
第9章と第10章は夫々31ページと11ページを占めるが、「東十二丁目誌」全390ページの8.5%と2.8%に過ぎない。

9 現代(戦後)
1 戦後処理から民主的再建へ (概説)
本節では昭和20年のポツダム宣言受諾から昭和末期の高度成長期終焉までをごくごく簡潔に要約しているが、東十二丁目や矢沢村への言及はない。
終戦時の東十二丁目の動きなどを知りたいところであるが、資料がなかったためか何も記されていない。
当時著者は出征中で、中国湖南省の洞庭湖上で終戦を迎えた。東十二丁目に帰還したのは昭和21年6月であった。(注1) 続きを読む 「東十二丁目誌」註解覚書:現代概観

「東十二丁目誌」註解覚書:写真資料アルバム

「東十二丁目誌」の著者・石崎直治先生が撮影された写真の内、石碑と社寺に関するものは先に紹介しました。今回は「東十二丁目誌 写真資料」と題されたアルバムの写真を掲載します。
撮影時期は明記されていませんが、昭和60年前後(1980年代)と思われます。
先生が写真に書き添えたタイトルの他に、各写真に関連する「東十二丁目誌」の当該ページ番号と若干の補足を付記します。

写真 (右クリックで拡大表示できます。)

(連番) タイトル
・「東十二丁目誌」ページ

(1) (扉)
・何故か地図が逆さまに貼られている。

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「東十二丁目誌」註解覚書:明治の島小学校

(島区民会編「島小百年史」(S48.11.3 同会発行)より)

1. 小袋小学校の前身
2. 小袋小学校時代
3. 小袋小学校を島小学校と改称す
4. 高木小学校と合併
5. 仮校舎時代
6. 島小学校独立校舎誕生
7. 再度仮校舎へ移転
8. 独立校舎再建 (4年制教育時代)
9. 義務教育6年制になる
10. 代用教員 古川一郎の追憶
11. 模範生 大木チヨノの回想
12. 卒業生数 (明治27年度以降、男女別)

1. 小袋小学校の前身
島小学校の沿革、特に草創期を知るには、まず古川忠栄(孫左衛門)氏の事蹟、特に永年にわたって私塾(寺小屋)を開いて地方の子弟に対する教育に尽くしたことを挙げなければならないと思う。縁筋に当たる古川一郎氏の保存している貴重な記録により、次のような略歴を知ることができる。 続きを読む 「東十二丁目誌」註解覚書:明治の島小学校

「東十二丁目誌」註解覚書:社寺アルバム

本稿も前回同様に石崎先生が残された写真のアルバムです。
なお各社寺の祭神、本尊、由緒等は「東十二丁目誌」(注1)の「第5章 近世」 / 「第16節 社寺の中興」にあります。

写真 (右クリックで拡大表示できます)

(連番)社寺名
所在地等

熊野神社
  旧・村社(明治3年認定)
  中道、農免道路から北に少し入る
(1)熊野神社拝殿

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「東十二丁目誌」註解覚書:石碑アルバム

「東十二丁目誌」の著者・石崎直治先生が、東十二丁目の石碑を調査された際に撮影された写真のアルバムです。撮影時期は明記されていませんが、昭和60年前後(1980年代)と思われます。

写真
(右クリックで拡大表示できます。)

(連番) 碑名 (寸法 cm)
  建立時期 所在地

熊野神社境内
(1)松尾二柱大神 (238×90)
   明治26年(1893)4月8日
(2)稲荷大神 (50×45)
(3)馬頭観世音

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「東十二丁目誌」註解覚書: 両から円へ

明治4年(1871)5月に新貨条例が公布され、円・銭・厘を単位とする新貨幣制度が発足しました。しかしこの新制度が東十二丁目にどのように浸透していったのか、本誌(1)に特段の記述はありません。
幸い「花北の歴史を学ぶ」(2)という冊子に「貨幣の変化」と題する一文があり、ここいらへんの事情が書かれていましたので、以下に転載します。

この中に《島(東十二丁目)の附近では明治15年(1882)から円・銭・厘が使われていた》とありますが、疑問が残ります。文末の注記をご覧下さい。 続きを読む 「東十二丁目誌」註解覚書: 両から円へ