東十二丁目村 産物書上帳 享保二十年

「新川佐藤家文書」(注1)の中に「享保弐十年 東十弐丁目村 従公義御尋之産物相改書上申帳 卯 七月十八日」と「享保弐十年 従公義御尋之産物相改書上仕帳 東十二丁目村 卯 七月廿一日」と表紙に書かれた2冊の文書があります。

前者が享保20年(1735)当時の東十二丁目村知行地の産物(天然の動植物と鉱物、農作物を含む)を、後者は同村山林原野(藩直轄地)の産物を記録したものと思われます。(注2)

本稿ではこれら2文書の内容と共に、その作成経緯、前後の事情を見ていきますが、話は8代将軍吉宗にまで及びます。

■ 「産物書上帳」の内容
(1) 知行地「産物書上帳」の全体像
[表紙]
享保二十年 東十ニ丁目村
公義(儀)より御尋ねの産物相改め書上申帳
卯 七月十八日

[本文]
一 穀類
わせ稲  雀しらず、白わせ
中手稲  三介、萬よし、岩川
おく手稲  黒しね、中白、細から
餅稲  高柳(赤餅と申す也)、細葉(白餅と申す也)、権兵衛餅、ゑんさい  (穀類計 12種)
一 粟類
わせ粟  雪の下、しけた、金のみ
中手粟  黒八月粟、小めさし、大しよくわん、あら沢、ぬかなし
… (粟類計 15種)
一 稗類
わせ稗  白稗
中手稗  赤稗(あからくと申す也)、にきり付
おくて稗  黒ひえ、ひけひえ  (稗類計 5種)
一 黍(きび)類
まめきひ、唐きひ、稗きひ  (黍類計 3種)
一 大麦類
中手麦  すばくら麦  (大麦類計 1種)
一 小麦類
わせ小麦  よてらし
中手小麦  のと小麦、白川
おくて小麦  とつき(かちかたと申す)□ (小麦類計 4種)
一 蕎麦
小そば、大そば  (蕎麦計 2種)
一 大豆類
わせ大豆  六月まめ(わせ葉と申す也)
中手豆  小八月まめ、大八月まめ
おくて大豆  赤さや、白ひ子、青まめ… (大豆類計 10種)
一 小豆類
わせ小豆  目白
中手小豆  白さや
おくて小豆  赤小豆、白小豆、黒小豆
ささけ  長ささけ、なたささけ□ (小豆類計 7種)

一 菜類
にん参、はいも、にら、にんにく、ちさ、かぶ、… (菜類計 34種)
一 なの類
蕪な、むらさき高な、青たかな、なつな、鶯な□ (なの類計 5種)
一 大こん類
土かむり、ぬけあがり、夏大こん(なつ大こんの種当所御座無く候)  (大こん類計 3種)

一 菌類
ぬめりきのこ、月夜竹(茸)、はきもたし、はつたけ、白はつたけ、すすきもたし、… (菌類計 11種)
一 瓜類
とう瓜、きうり、すいくわ、きんくわ  (瓜類計 4種)
一 菓類
うまのはしばみ、角はしばみ、りん子、こがき、大柿、杏、… (菓類計 13種)

一 木類
もみぢ、いたや、糸柳、川柳、うすばい、にがき、… (木類計 65種)
一 つら(る)物類
まふち、くそふち、すいかつら、… (うら物類計 13種)
一 草類
えぞほき、いくさ、ゐんこ、ゐんたて、いたとり、はこべ、… (草類計 113種)
一竹類
にが竹、根さし、かもざし  (竹類計 3種) (植物合計 323種)

一 魚類
鮭、鱒、うなき、鮒、とぢやう、はや、… (魚類計 13種)
一 川獣類
川はつ□(人を□申し候得共一切見得申さず候)、川うそ  (川獣類計 2種)
一 貝類
浦つふ、田丹し、沼かい、石かたかい  (貝類計 4種)

一 鳥類
鳩、鶴、ときとり、からす、とび、黒かも、… (鳥類計 23種)
一 獣類
猫、犬、鼠、いたち、狼、兎、… (獣類計 11種)
一 虫類
とうろう、いぼ虫、いもり、いなはつたき、はたおり、はい、… (虫類計 40種)
一 蛇類
とかけ、かなへひ、くそへひ、山かかし、青のろし、白なふき、からすへひ  (蛇類計 7種) (動物合計 100種)

一 石類
山石、白石  (石類計 2種)
一 土類
ま土、赤土、野ほく土、あら砂  (土類計 4種) (鉱物合計 6種) (総合計 429種)

右の通り
公義(儀)御尋ねの産物、私共立合い相改め、存じ知り候分相違無く書上げ申し候。外に御色数の物御座無く候。万一隠密の物これ有り候の由、訴人御座候に於いては、曲事仰せ付けらる可く候。  已上

  東十二丁目
  書出 長右ェ門   同 宇兵衛   同 左兵衛
  同 石清水領 孫右ェ門    同 内繁領 花吉
  高橋領 長蔵         半場領 四郎兵衛
  大関領 半右ェ門       四戸領 清助
  肝煎 利七
享保二十年   卯七月二十一日
小田代新蔵殿   照井多左衛門殿

(2) 両「産物書上帳」の原文
 1) 知行地「産物書上帳」

産物書上帳〈知行地分〉
(クリックして全体をダウンロードできます)

2)山林原野(藩直轄地)「産物書上帳」

産物書上帳〈山林原野分〉
(クリックして全体をダウンロードできます)

(3) 両「産物書上帳」記載の全産物名リスト

(EXCEL表、クリックして、全体をダウンロードできます。)

■「産物書上帳」作成の経緯と諸事情(注3)
(1) 「産物書上帳」作成の経緯を年表風に要約すると…
元禄6(1693)  稲宣義(稲生若水)、金沢領主前田綱紀に「物類考」(後に「庶物類纂」と改題)の編纂を命ぜられる
正徳5(1715)  稲宣義、1,000巻の内362巻を編集したところで、未完のまま没する
享保4(1719)  8代将軍吉宗、前田侯に「諸物類纂」362巻の献上を要請し、これが幕府の文庫に納められる

享保17(1732)?  吉宗、幕府医生・丹羽生伯に未完の部分(所謂「後編」)の続輯を命ずる
享保19(1734)3月  老中、「丹羽正伯が庶物類纂の続輯を命ぜられたので、正伯から諸国産物の俗名並びに其形を尋ねられたら、領主等から回答すべし」との通達を大目付に伝える
・通達は直ちに廻状をもって諸領の江戸留守居役へ伝えられる
享保20(1735)閏3~4月  諸領の江戸留守居役達、正伯から領毎の「産物帳」の編集を指示される
 同年閏3月21日  盛岡領の江戸留守居役関新兵衛、正伯に呼ばれて、領内の産物調を指示される
 同年5月頃~  諸領で夫々「産物帳」編集の担当者を定め、調査、編集に着手する

 同年5月  盛岡領では、領内産物御書上御用懸が設けられる
 同年7月  東十二丁目村から「産物書上帳」が代官所に提出される
 同年9月  花巻郡代三上多兵衛、安俵高木通他所管分の書上帳を藩庁に提出する
 同年11月までに  盛岡藩領内66ヶ所の代官、奉行所からの報告が出揃う

 同年暮~  各領の「産物帳」が正伯の許に提出される
 ・提出後に、正伯、未知のもの等について、絵図あるいは註書を作成して提出するように求める

元文元年(1736)?月  盛岡領の産物帳「御領分産物」が正伯に提出される

 同年7月  正伯、未提出の領に督促する

 同年10月  盛岡藩で産物帳関係者がその功を賞される

元文2(1737)10月頃~  正伯、未提出の領に再度督促する

 同年11月  盛岡藩、追加の絵図を正伯に提出し、一件落着

元文3(1738)5月  「諸物類纂」後編が完成し、幕府に納められる
 同年9月  正伯、番医に昇格
元文4(1739)頃までに  ほとんどの領から本帳に絵図・註記を添えて提出される
元文5(1740)4月  正伯、再び小普請医に戻される
宝暦6(1765)4月  正伯、病を得て江戸で没す。享年66才

(2) 「産物書上帳」作成前後の諸事情
 1)「庶物類纂」は、中国の文献(本草書、辞書類、歴史書、地誌等)を広く渉猟して、それらの中に記載された庶物に関する記事を書き抜き、それらを事項毎にまとめて再編成するものであった。
従って、その編纂には日本国内の産物の調査などはほとんど必要なかった。

2)丹羽正伯は「庶物類纂」の編纂を大義名分にして、その幕府通達を拡大解釈して、全国の産物の調査を計画し、実施した。

3) 調査はまず村(当時の村は今の小字程度)の段階から始められた。全国の庄屋などが中心になって各村内の作物、動物、植物の名を書き留めるということが全国一斉に行なわれることになった。
村単位の調査資料は、次の段階として郡毎に同名のものを整理して郡単位の『産物帳』が作られ、さらに領単位、国単位にまとめられて、『○○国○○領産物帳』として完成された。ただし、中には、郡単位の段階に留まり、領単位、国単位に集計されない例もある。

4) 盛岡領の産物帳である「御領分産物」には、農作物106種、植物 1,403種、動物 737種、金石 29種、合計2,275種が記録されている。

5) 「産物帳」自体は幕府の要求ではなかったので、これが正式に幕府に納められることはなく、1,000冊以上と言われる資料が正伯の手元に残された。しかしそれもいつしか雲散霧消してしまい、その控のみが各領に残され、後世に伝えられた。

6)「産物帳」の価値について、上野益三博士(注4)は「この調査は日本の博物学のルネッサンスともいえる。その後の天産物に対する興味を引き起こす原動力になったと思う」と評価し、また如月小春(注5)さんも「津々浦々の庶民が身近な動植物に目を向け、名を確認し、壮大な在野の博物学を展開していった様子は、想像するだけでわくわくしてくる」と、感動をこめて述べたという。

7) 「解題」(注3)に「…村単位の『産物帳』が全部そっくり残っていれば、これはたいへん貴重な資料であるが、残念ながら260年前の村方文書が残る例は稀であり、とくに『産物帳』の場合は発見される例が少ない。今日までに知られたものは…25例ほどである。」とあるが、この25例の中に「東十二丁目村産物書上帳」は含まれていない。

 [補足]
(1) 新川佐藤家文書:⇨「「東十二丁目誌」註解覚書:北上川新川に苦しむ」の[補足]参照

(2) 盛岡藩は寛永7年(1630)、藩士の知行地を田畑に限定し、領内全ての山林原野を藩直轄とし、御留山(おとめやま)・御囲やま(おかこいやま)・御明山(おあけやま)・水ノ目御山(みずのめおやま)の4種に分類した。山守は山の管理責任者である。

(3) 『享保・元文諸国産物帳集成』解題参照

(4) 上野 益三:1900年~1989年。大阪府出身の昆虫学者、陸水学者。水生昆虫の分類、生態学的研究や、生物学史の研究でも知られる。
(5) 如月小春(きさらぎ こはる):1956年~ 2000年。劇作家、演出家、エッセイストである。司会者・コメンテーターなどとしてテレビにも出演していた。

(2018.6.21掲)

東十二丁目村 産物書上帳 享保二十年」への1件のフィードバック

コメントは停止中です。