「東十二丁目誌」註解覚書:山は誰のものだったか? (2)

3.明治中期以降の山
(1)国有林野の村方解放(注1)
ここでは国有林野の村方解放(下げ戻しや払下げ)について述べる。
明治5年に、土地の所有や売買が公認されたので、地租改正と併行して、土地の官私区分という大事業が展開された。まず民地の所有者を確定し、面積を測定し、等級を定めて税額を決定した。民有地以外は国有地とされた。
しかしこの官私区分には、簡単に判断できない多くの問題を包蔵していた。長い習慣からくるもので、土地は藩主のものというのが原則であったが、土地の管理・使用には多様な形態が併存していた。

本県における林野等の官私区分調査は明治7年(1874)頃に本格化し、実測を含めて調査が一段落したのは10年12月であった。
この官私区分では多くの問題を後に残したが、その中でも村方の共有林野であり、生活必需品取得の場である入会地(いりあいち)は複雑困難な問題であった。
官私区分によって、従来の入会林野が、正しく入会者側の共有として処理されたものは良しとして、入会地を主張せず、または確証なしとして官没になるものも生じた。また山肝入・山守・その他、当時村方で権勢ある者の名義に書替えられ、それまでの入会受益者が、新しい法律下では所有権を主張し得ない破目になる例もあった。また当時は入会受益者側が共有地主張に積極的でない傾向も見られた。

しかし官有林野が決定するに及んで、その入山は誠に窮屈になり、山林に多くを依存していた山村農民にとっては、多大の不便をもたらした。
このような不自由さも原因して、不要存置の国有林野の払下げや下げ戻し問題が台頭したのは当然である。(注2)

1)国有土地森林原野下戻(さげもどし)
明治32年(1899)4月に至り、国有土地森林原野下戻法が公布され、その下げ戻し等に関する「申請手続」が農商務省令で定められた。
その結果、官私区分の際、誤って国有地に編入されている土地や、支証不足で国有地になっていた林野など、それぞれ立証を添えて下げ戻しを申請するものが、俄かに多くなった。
本県の場合、払下げの例において、明治33年には2,441町歩と前年の15倍強に増加しおり、本法が作用したとみる外ない。

下げ戻し申請は33年6月30日限りで、全て打切りと告示された。その後は、申請が受理されぬばかりか、期限内に申請しておかぬと、行政裁判所への提訴もできぬ定めであった。
本県下でも、下げ戻し申請は多く出されたが、多くは支証不足で却下され、また受理されて行政裁判所に持ち込まれても大臣勝訴となり、官私区分の際の措置は正しいとされるものが多かった。

下戻法の適用については、国会でも激しい議論が行われた。殊に申請受理の期限を33年6月30日までと、僅か1年間で打切りとしたことが非難されたが、政府は折から着手しつつあった国有林野経営事業を推進する必要から、強引にその打切りを実施したという。

2)不要存置国有林野売払規則
・国有林の経営において、明治期にその組織体系が整理されていく中で、明治32年(1899)に国有林野の管理経営の基本法規である「国有林野法」及び国有林の整備事業を一般会計から切り離して特別会計で行うための「森林資金特別会計法」が成立した。そして国として管理経営する必要のない林野を民間に払下げ、その代金を特別会計に積立て、これを財源として国有林の森林整備を行う「国有林野特別経営事業」が開始された。これによって明治期の国有林成立以降徐々に実施され始めていた森林整備等の取組が、法令に基づく全国統一的な取組として本格的に行われることになった。

・国有林野特別経営事業の活動資金を補う目的で、「不要存置国有林野売払規則」が制定された。払下げ方法は、原則として不要な国有林野を縁故者へ有償で譲渡し、所有権を移転する方法がとられた。

(2)東十二丁目では
1)国有林原野払下(はらいさげ)

下草刈採鑑札
(右クリックで拡大表示できます)

・東十二丁目村では官私区分以降、山林等の多くが官地とされ、農家では飼育する馬の秣(まぐさ)の刈取地や、萱(かや)苅場にも不自由するようになった。
そのため明治11年(1878)に村の総力を挙げて官地の借用を願い出て、許可され、5ヶ年間有効の鑑札が各人に交付された。さらに5ヶ年間延長の鑑札もあり、引続いて申請し、許可されていたようである。

・古い登記簿や土地台帳を見ると(注3)、明治35年(1902)から39年にかけて多くの山林が払下げられたようである。この払下げの経緯を記した資料は乏しいが、石崎文庫(注4)所蔵の「諸参考資料」ファイルの中に国有林原野払下げに関する資料2点(控の写か?)がある。出所不明の資料であるが、その内容を紹介する。
– 一つは「国有林原野払下願」の目録で、11件が列記されており、総面積162町(≒㌶)余とある。
– 他は目録の中にあった1件、「八森148番」の縁故払下願である。

・この払下願は明治36年6月に「惣代人 古川万作」の名で出願されたものであるが、「加盟者」として176名の氏名が列記されている。「東十二丁目誌」によれば、明治24年の当村戸数 195戸を参考値として提示しているので、当村のほとんどの戸主が名を連ねたことになる。
払下願には、縁故・立証・目的が「事由書」として記されている。

[国有林原野払下願 事由書]
国有林原野払下願 事由書
(クリックして全体をダウンロードできます)

・願書の日付が明治36年6月であることから、この払下げは国有土地森林原野下戻法によるものではなく、不要存置国有林野売払規則によるものと考えられる。この場合、払下げは有償だったはずだが、費用に関する記載はない。

・払下願に至る経緯の記録は見当たらない。想像してみるに、2つのケースが有り得るように思う。
1: 官民区分の際に、村が申告した民地が認められず、官地とされた場合が多かった。そのため国有土地森林原野下戻法による下げ戻し(無償払下げ)を申請したが、これも認められなかった。そこで村民はやむを得ず不要存置国有林野売払規則による有償払下げを願い出た。
2: 官地借用により不自由なく暮らしていたが、国有林野特別経営事業の活動資金獲得を急ぐ政府から払下げ取得の勧奨(官地借用打切りの通告)を受け、払下げを願い出た。払下げられた場合は、借用時に支払っていた使用料は不要になるが、代価を負担した上に、新たに課税されるので、農民は払下げを積極的に望んでいたわけではなかったのではないか。

・払下げ後の所有形態について、他で見られる共有とか有力者による独占的所有は無かったようである。代表者による大面積の払下げの場合でも、払下げ直後に分筆され、多くの村民の個別所有となった。具体例は次項で取上げる。

2)山々の来歴
東十二丁目東部に横たわる山地について、旧土地台帳と閉鎖登記簿をもとに、典型的な数筆の来歴を記す。

 ① 官私区分時に私有地と認められた山林で、旧家・藤左ェ門家の持山
 ② 官地が払下げられた後、分筆されたが、大半が払下げを受けた者の所有となった山林
 ③ 官林が払下げられた後、多くの土地に分筆されたもの
 ④ 同上
 ⑤ 官私区分時に私有地と認められた山林で、面積狭小なものの例

① 第10地割(外山)245番
・天保検地絵図面(天保14年(1843))に「押切御林」と記されている。
当時から押切藤左ェ門家の持山として公認されていたということか。
(この絵図面には合わせて8ヶ所の「御林」が見えるが、「御林」の定義は不詳)
・土地台帳の先頭記入事項:地目 山林、反別 60反620、所有主氏名 押切彦八
・明治23年(1890)12月 開墾成功に付 3畝22歩を分筆
・明治33年3月 押切與一郎が家督相続し所有権を登記、山林 6町2畝28歩

② 第10地割(外山)261番
・土地台帳の先頭記入事項:地目 山、反別 242反724
・明治35年(1902)3月 佐藤孝清へ払下げ、同年12月 分筆のため本番に1より14までを附す
・明治36年1月 佐藤孝清の所有権を登記、261番1 山林 23町3反6畝10歩

③ 第18地割(竹原)8番
・土地台帳の先頭記入事項:地目 官林、反別 222反120
・明治35年3月 古川重教へ払下げ、同年12月 分筆に付1より51までを附す
・明治36年1月 古川重教の所有権を登記、8番の1 山林 2反9畝18歩

④ 第18地割(竹原)17番
・土地台帳の先頭記入事項:地目 官林、反別 220反923
・明治39年(1906)6月 農商務省が所有権保存登記、同日 古川恵次郎へ払下げ、売買による所有権移転を登記
・同年9月 分筆に付本番の1より51までとする
・明治39年10月 古川金兵衛へ売買による所有権移転を登記、17番の1 山林 1反1畝25歩

⑤ 第19地割(村屋敷)242番
・土地台帳の先頭記入事項:地目 山林、反別 0反027、登記年月日 明治22年(1889)5月、所有主氏名 菅原善作
・明治23年4月 大木栄治へ売買による所有権移転を登記

[補足]
(注1) 下記資料に拠る。
・「岩手県史 第9巻 (近代篇 第4)」(岩手県著、1964 杜陵印刷発行)の「第6章 本県産業の変遷」/「第2節 林業と林政」
・「明治期の国有林野事業について」(林野庁)
・「青森県津軽地方における官地民木林の史的展開過程」(赤池慎吾著、2009 東京大学農学部演習林報告)の「5.2. 不要存置国有林野売払規則による官地民木の大規模払下げ」

(注2) 東十二丁目村において官有林野に対する不満が顕在化していたかは疑問である。当村では明治11年にいち早く合計77町余の官地借用が許可されており、林野の利用に不自由していなかったのかもしれない。

(注3) 東十二丁目の山地部について、旧土地台帳と閉鎖登記簿を全て調べれば、色々と解明できそうであるが、法務局の書面請求に1筆当り 600円、1000筆では60万円の手数料が掛かる!!
(注4) 石崎文庫:島コミュニティセンター内、本書の著者・石崎直治先生が収集した資料や書籍が収められている。

(2019.5.6掲)