矢沢村の「経埋ムベキ山」 3山

先日、胡四王史談会主催の「国見山廃寺跡史跡探訪講座」に参加して、北上市稲瀬町にある極楽寺、国見山廃寺跡や北上市立博物館等を見てまわりました。
これらを見学しているうちに思い出されたのが、前から気になっていた花巻市高松の山中にある高松寺跡のこと。
これまで高松寺跡(現・岩根神社)を何度か訪ねたことはあったのですが、詳しく調べたことはなかったので、少し調べて見ようと思い立ちました。

国指定史跡・国見山廃寺跡
国見山廃寺跡は、北上市稲瀬町内門岡地区にある古代山岳寺院跡で、北上山地西縁部の一つである国見山南麓に位置しています。今でも内門岡地区には僧侶を連想させる地名が多く残っており、伝承によれば700を超える堂塔、36の僧房をもつ大寺院であったといいます。年代は9世紀頃から12世紀頃の平安時代とみられ、平泉が栄える200年も前から北上盆地における仏教の中心地だったことが窺えます。
         (「史跡探訪講座」資料より)

古刹高松寺 岩根神社
現在あるこの岩根神社は、江戸時代には高松寺の一宇の観音堂であったが、明治初年の廃仏毀釈によって廃寺となり、岩根神社と改称されている。神社の拝殿はかつての観音堂であった。古記録によると昔は真言古規の山で、高松寺は一山の惣寺号であり、一山の繁盛は類なしとうたわれた古刹であった。
昔の高松寺は七坊あったと伝えられ、西大坊、東大坊、東禅坊、日向坊、ならい坊、本坊、明ヶ沢坊である。古記録には「…其の外大小坊舎の趾幾何(いくばく)という数を知らず」とある。年代は不明であるが、山火事に遭い昔から栄えていた高松寺の大伽藍及び諸堂諸坊は悉(ことごと)く灰燼に帰し、その後鞍掛(くらかけ)に再興されたと言われる。

経塚は、経典を書写し供養して、これを地中に埋納したものとされている。平安時代より江戸時代まで行なわれたが、平安時代後期には末法思想の流布によって最も盛んになった。…
高松山経塚から出土したものに自然釉のかかった常滑の壺があり、中形の壺でとくに「経塚壺」と呼ばれている。…
      (岩根神社駐車場にある説明板(花巻市設置)より)

あれこれ調べているうちに、ここでもお会いしました…宮沢賢治に。
「矢沢郷土誌」(注1)に〈高松山は観音山ともいわれ、宮沢賢治が病床の中で記した「アメニモマケズ手帳」の「經埋ムベキ山」の最初に、旧天山、胡四王と並んで観音山も併記されている。〉とあります。

「旧天山」は高木の「久天野(きゅうでんの)」のことだそうです。こちらについては[高木用水・開田の記憶 – 新聞報道と記念碑から –]の(注1) 久田野をご覧下さい。

また「胡四王」については、[満州から胡四王山へ!?] の(注1) 胡四王山をご覧下さい。

私はこれまで「観音山」がどこか、分らないままでいたのですが、今回偶然にも「観音山」が高松の山であることを初めて知りました。

(右クリックで拡大表示できます。」)

小沢俊郎氏(注2)によれば、「經埋ムベキ山」として賢治の手帳に32ヶ所が記されているが、そのうち10ヶ所は賢治の作品中に一度も出てこないとのこと。そしてその中に観音山と胡四王山が含まれている、とあります。

そもそも「經埋ムベキ山」とはどういうことか。同氏は〈賢治が自分の死後、経筒に法華経を収めて埋経して欲しいと希って指定した32の山がそれである。〉と説き、他書からの引用として〈法華経の埋経ということは古代から盛んに行われたものであり、賢治にそうした念願があったことは、後のこの手帳のメモでも明らかである〉と記しています。

さてそれでは「經埋ムベキ山」32ヶ所の先頭に旧矢沢村の3ヶ所が挙げられたのは何故なのでしょうか。

[こちら]のページに〈花巻市内の観音山には「(高松)観音山」の他に「(円万寺)観音山」もある。下根子桜から見れば、鼎立する配置で胡四王山、旧天山、(高松)観音山がいずれも指呼の距離にあり、それらの背後に早池峰山が控えていることを考えれば(高松)観音山(260.7m)の方であることはほぼ確実であろう。〉とあります。(なおこのページには岩根神社の写真のほか、観音山で撮影した花や蝶のきれいな写真が載っています。)

賢治が療養生活に入る前の数年間住んでいた北上川西岸の宮沢家別宅(現・花巻市桜町)から東を望めば、北上川の向こうに早池峰山の前景としてこれら3山があり、慣れ親しんだ山々であったから、という事でしょうか。
観音山について言えば、高松経塚群のことが頭にあったのかもしれません。

蛇足
宮沢賢治を「けんじさん」と呼ぶ例を多く見かけますが、この呼び方を私はスカネェ! 馴れ馴れし過ぎるというか…。私にとって宮沢賢治は「宮沢賢治」、遠くから眺める存在です。近づき過ぎては火傷(やけど)をしそう…
「私にとっての宮沢賢治」については、稿を改めて書いてみたいと思っています。

[備考]
(
1) 矢沢郷土誌:H29.12.1 矢沢観光開発協議会・矢沢地域振興会発行
(2) 小沢俊郎編 「宮沢賢治研究叢書② 賢治地理」:1975.7.31 学芸書林発行

(2020.10.1掲)

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