「花巻市史」と熊谷章一先生

花巻市立図書館の蔵書から「花巻市史」を検索すると60件以上もヒットし、困惑させられるが、これを整理・分類すると次の5種に大別できる。

(1) 熊谷章一著、花巻教委発行の「花巻市史」分冊版 (15冊)
①古代中世篇 (1965.3) 158㌻
②近世篇1 (1972.2) 249㌻
③近世篇2 (1974.2) 180㌻
④近代篇 (1968.9) 162㌻

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東十二丁目の今:島バイパス開通

島バイパス26日開通 花巻北上線 幅員広げ歩道新設
   (岩手日日新聞Iwanichi Online (2020.3.23)より)
県が花巻市高木、東十二丁目地内で整備を進めている主要地方道花巻北上線「島バイパス」の延長2.98キロ区間は、26日午後2時に開通する。
幅員の狭い区間の解消と歩道を新設することで、安全で円滑な交通の確保が期待されている。

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東十二丁目落穂拾い:塚根の首斬り場

東十二丁目の歓喜寺の裏山は東崗(ひがしおか)公園と呼ばれています。この山の中腹までは車で登ることができますが、そこに小さな駐車場があって、車は行き止まり。この駐車場の脇に5基の石碑(上掲写真)があります。
今回はこの石碑にまつわるお話です。
5基の石碑は「馬頭観世音」2基、「尾崎供養」1基、「大乗妙典日本廻国」2基です。そしてこれらは「東十二丁目誌」(注1)に「位置:東崗公園(旧塚根)」とあります。

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「東十二丁目誌」註解覚書:現代概観

石崎直治著「東十二丁目誌」(H2.2.28 同人発行)の最後の2章である「第9章 現代(戦後)」と「第10章 郷土の先人」を概観する。
第9章と第10章は夫々31ページと11ページを占めるが、「東十二丁目誌」全390ページの8.5%と2.8%に過ぎない。

9 現代(戦後)
1 戦後処理から民主的再建へ (概説)
本節では昭和20年のポツダム宣言受諾から昭和末期の高度成長期終焉までをごくごく簡潔に要約しているが、東十二丁目や矢沢村への言及はない。
終戦時の東十二丁目の動きなどを知りたいところであるが、資料がなかったためか何も記されていない。
当時著者は出征中で、中国湖南省の洞庭湖上で終戦を迎えた。東十二丁目に帰還したのは昭和21年6月であった。(注1) 続きを読む 「東十二丁目誌」註解覚書:現代概観

「東十二丁目誌」註解覚書:写真資料アルバム

「東十二丁目誌」の著者・石崎直治先生が撮影された写真の内、石碑と社寺に関するものは先に紹介しました。今回は「東十二丁目誌 写真資料」と題されたアルバムの写真を掲載します。
撮影時期は明記されていませんが、昭和60年前後(1980年代)と思われます。
先生が写真に書き添えたタイトルの他に、各写真に関連する「東十二丁目誌」の当該ページ番号と若干の補足を付記します。

写真 (右クリックで拡大表示できます。)

(連番) タイトル
・「東十二丁目誌」ページ

(1) (扉)
・何故か地図が逆さまに貼られている。

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「東十二丁目誌」註解覚書:明治の島小学校

(島区民会編「島小百年史」(S48.11.3 同会発行)より)

1. 小袋小学校の前身
2. 小袋小学校時代
3. 小袋小学校を島小学校と改称す
4. 高木小学校と合併
5. 仮校舎時代
6. 島小学校独立校舎誕生
7. 再度仮校舎へ移転
8. 独立校舎再建 (4年制教育時代)
9. 義務教育6年制になる
10. 代用教員 古川一郎の追憶
11. 模範生 大木チヨノの回想
12. 卒業生数 (明治27年度以降、男女別)

1. 小袋小学校の前身
島小学校の沿革、特に草創期を知るには、まず古川忠栄(孫左衛門)氏の事蹟、特に永年にわたって私塾(寺小屋)を開いて地方の子弟に対する教育に尽くしたことを挙げなければならないと思う。縁筋に当たる古川一郎氏の保存している貴重な記録により、次のような略歴を知ることができる。 続きを読む 「東十二丁目誌」註解覚書:明治の島小学校