カスリン・アイオン台風と瀬川の切替え -北山愛郎町長の仕事-

(北山郁子著「ドウリズムの政治 -北山愛郎的デモクラシー-」(2010.8.15 同人発行)より )

北山愛郎・花巻町長
(在任期間:1947~1952)

カスリン台風  町長(注1)就任から4ヵ月後の1947年9月15日、花巻の町はカスリン台風(注2)による水害に見舞われました。
日本の台風の災害史にその名をとどめるカスリン台風は、9月8日マリアナ諸島の東方洋上に発生し、…15日の午後6時頃伊豆半島の南方を通過し、房総半島をかすめて16日には三陸沖から北東に去って行きました。 続きを読む カスリン・アイオン台風と瀬川の切替え -北山愛郎町長の仕事-

虎戸を尋(たず)ねて -花巻同心と宮沢賢治-

先月7月に東京で「在京花巻人会のつどい」があり、30年(?)ぶりに出席しました。会長を務めている瀬川さんに昨年花巻でお会いしお話する機会があったので、出てみる気になったのです。

会場はお茶の水の東京ガーデンパレス、私には「お茶の水の私学会館」の方がピンときます。会は総会、市長他来賓挨拶、鹿踊(ししおどり)のデモンストレーション、食事・懇談と型どおりに進行しましたが、瀬川会長以外で私が見知った顔は矢沢中学校同期の高橋君のみ。散会したのが15時前、時間があったので、出るつもりのなかった二次会にも出てしまいました。場所は御茶ノ水ソラシティ(注1)のオープン(?)地下にある洋風居酒屋。

空いている席に着くと、向かいの席の方に声を掛けられました。そして話してみてビックリ!縁は異なもの… 続きを読む 虎戸を尋(たず)ねて -花巻同心と宮沢賢治-

飢饉と非人小屋 -天保5年 東十二丁目村の一件-

今回も「新川佐藤家文書」(注1)の中にある文書を見ていきます。この文書は天保の大飢饉(天保3年(1832)~9年)さなかの天保5年正月に「川口町 小屋頭 万兵衛」から「東十二丁目村 御役所、老名(おとな)(注2)衆中」へ出された願書です。

全文は次のとおりです。 続きを読む 飢饉と非人小屋 -天保5年 東十二丁目村の一件-

明治末に花巻からメキシコに渡った女教師

その小学校教師の名は中西良(りょう)
明治18年(1885)、和賀郡十二鏑(じゅうにかぶら)村(現在の花巻市東和町土沢)に生れ、師範学校を卒業して小学校教師をしていたが、何故か明治44年(1911)26歳の時にメキシコに渡りアウロラ小学校の教師となった。
アウロラ小学校は、榎本武揚の殖民構想に共鳴してメキシコに移住し、大活躍した照井亮次郎(注1)(花巻市東十二丁目出身)が設立した学校です。 続きを読む 明治末に花巻からメキシコに渡った女教師

日本人メキシコ移住120周年: 亮次郎とメキシコを想う

10月8日に東十二丁目の高橋市議のお宅で「照井亮次郎(1)を語る会」がありました。集まったのは高橋氏の外に東京から御出での瀬川氏夫妻、仙台から三浦氏、高木の佐藤氏、そして私の計6名。

瀬川氏がこの集まりの音頭取り、奥様は亮次郎のお孫さん(亮次郎の娘・アウロラ暁子の娘)。 続きを読む 日本人メキシコ移住120周年: 亮次郎とメキシコを想う

「島郷土史」の目指したもの

「島郷土史」(昭和16年編纂)は「東十二丁目誌」などでしばしば引用される文献ですが、これまで直接手に取ったことがありませんでした。1年以上かかってしまった「石崎文庫」の整理が一段落したので、当文庫所蔵の「歓喜寺文書」の中にある「島郷土史」を読んでみると…
まず思ったのは意外にページ数が少ないこと。それに毛筆の手書きなのです。そして表紙が付いていない。元々なかったのか、コピーするときに抜けたのかはわかりません。毛筆書きの「島郷土史」の前に、ガリ版刷りと思われる「過去帳保存庫並に郷土史編纂に就て」と題した文書が置かれています。
しかしこのプロジェクトの実施主体がはっきりしません。島区民会とか歓喜寺護持会のような団体だったのか、個人有志に依るものだったのか。 続きを読む 「島郷土史」の目指したもの