老いるということ -母の日記から-〈2〉

平成28年(2016) 2月   93歳6月
           (残 11月)

2月1日(月)
大根思ったよりかたくて味しみとおらない。時間かかりそう…
何か新しいものはと探して見当たらない
デーサービス…はこに毛糸を巻くゲーム?だったが、
のり子さんと共作、あの人見かけによらず本当にニンチ症?若いのにお気の毒…
無理に持って行ってもらう
毎度のことながらつかれる
冨沢さんの云い分も少々気になったが…皆それゞゝ同じやないと改めて思う。こっちがおかしいの どっちがどっちか解らなくなる

[欄外] デーサービス  箱に毛糸をまく  これもまたたのし

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老いるということ -母の日記から-〈1〉

私の母は大正11年(1922) 8月生れ、平成29年(2017) 1月に94歳5月で没した。
母は二人の子供が家を離れてから永い間父との二人暮らしであったが、平成22年4月に父を亡くした後は一人住い。しかし26年夏に転んで手首を痛め、一人暮らしが難しくなったため、サービス付き高齢者向け住宅(略称:サ高住)(注1)「昂(たすく)の森」に入居することになった。
この日記は 「昂の森」 で過ごした母の最後の一年の記録である。

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カスリン・アイオン台風と瀬川の切替え -北山愛郎町長の仕事-

(北山郁子著「ドウリズムの政治 -北山愛郎的デモクラシー-」(2010.8.15 同人発行)より )

北山愛郎・花巻町長
(在任期間:1947~1952)

カスリン台風  町長(注1)就任から4ヵ月後の1947年9月15日、花巻の町はカスリン台風(注2)による水害に見舞われました。
日本の台風の災害史にその名をとどめるカスリン台風は、9月8日マリアナ諸島の東方洋上に発生し、…15日の午後6時頃伊豆半島の南方を通過し、房総半島をかすめて16日には三陸沖から北東に去って行きました。 続きを読む カスリン・アイオン台風と瀬川の切替え -北山愛郎町長の仕事-

虎戸を尋(たず)ねて -花巻同心と宮沢賢治-

先月7月に東京で「在京花巻人会のつどい」があり、30年(?)ぶりに出席しました。会長を務めている瀬川さんに昨年花巻でお会いしお話する機会があったので、出てみる気になったのです。

会場はお茶の水の東京ガーデンパレス、私には「お茶の水の私学会館」の方がピンときます。会は総会、市長他来賓挨拶、鹿踊(ししおどり)のデモンストレーション、食事・懇談と型どおりに進行しましたが、瀬川会長以外で私が見知った顔は矢沢中学校同期の高橋君のみ。散会したのが15時前、時間があったので、出るつもりのなかった二次会にも出てしまいました。場所は御茶ノ水ソラシティ(注1)のオープン(?)地下にある洋風居酒屋。

空いている席に着くと、向かいの席の方に声を掛けられました。そして話してみてビックリ!縁は異なもの… 続きを読む 虎戸を尋(たず)ねて -花巻同心と宮沢賢治-

飢饉と非人小屋 -天保5年 東十二丁目村の一件-

今回も「新川佐藤家文書」(注1)の中にある文書を見ていきます。この文書は天保の大飢饉(天保3年(1832)~9年)さなかの天保5年正月に「川口町 小屋頭 万兵衛」から「東十二丁目村 御役所、老名(おとな)(注2)衆中」へ出された願書です。

全文は次のとおりです。 続きを読む 飢饉と非人小屋 -天保5年 東十二丁目村の一件-

明治末に花巻からメキシコに渡った女教師

その小学校教師の名は中西良(りょう)
明治18年(1885)、和賀郡十二鏑(じゅうにかぶら)村(現在の花巻市東和町土沢)に生れ、師範学校を卒業して小学校教師をしていたが、何故か明治44年(1911)26歳の時にメキシコに渡りアウロラ小学校の教師となった。
アウロラ小学校は、榎本武揚の殖民構想に共鳴してメキシコに移住し、大活躍した照井亮次郎(注1)(花巻市東十二丁目出身)が設立した学校です。 続きを読む 明治末に花巻からメキシコに渡った女教師